アドラー心理学には、昔から少し引っかかっていた
「嫌われる勇気」。
「課題の分離」。
「承認欲求から自由になる」。
強い言葉です。そして、使いやすい。
人の顔色を見すぎて疲れた人には、「嫌われる勇気」が必要でしょう。家族や友人の機嫌まで自分の責任だと思っている人には、「課題の分離」が助けになると思います。
ただ、この言葉を使うのは、そういう人ばかりではありません。
もともと人の話を聞きたくない人も、嫌われる勇気を持てます。自分の非を認めたくない人も、課題を分離できます。
開き直りにも、心理学の名札が付く。
私は『嫌われる勇気』を、誰にでも安心して勧められる本だとは思っていません。
「相手の課題」に入れる前に
以前、職場でちょっとした行き違いがありました。事前に聞いていた説明と実際の扱いが違い、ある人が説明を求めていた、という程度の話です。
そこで、アドラー心理学を好んでいた人が、相手の受け止め方までこちらが背負う必要はない、という趣旨のことを言いました。「課題の分離」という言葉も出た記憶があります。
細かい経緯も正確な文言も、もう覚えていません。だから、誰が正しかったかを今ここで裁くつもりはありません。
ただ、引っかかったことは覚えています。
相手がどう受け止めるかは、たしかに相手の課題でしょう。
では、こちらの説明は十分だったのか。途中で話が変わっていなかったか。誤解を招くような伝え方をしていなかったか。
それは、こちらの課題ではないのでしょうか。
説明を求める声を「相手の受け止め方」に入れてしまえば、自分が説明したことまで点検せずに済みます。言葉の使い方ひとつで、こちら側の課題が消えてしまう。
あのとき私が嫌だったのは、そこです。
哲人よ、あんたはすごい。しかし青年よ、そこで引き下がるな
『嫌われる勇気』は、哲人と青年の対話で進みます。
青年が反発する。哲人が答える。また青年が食い下がる。よくできた本です。青年も、簡単には納得しません。
それでも私は、何度か思いました。
哲人よ、あんたはすごい。
しかし青年よ、そこで引き下がるな。
いま、かなり大事なところを通過したぞ。
第3夜の題は「他者の課題を切り捨てる」。課題の分離や承認欲求の否定が語られます。第4夜に進むと、対人関係のゴールとして共同体感覚が出てくる。
つまり、本は「課題を分離して終わり」とは書いていません。その先もある。そこはきちんと認めます。
でも、先が書いてあることと、先まで読まれ、持ち帰られることは別です。
「他者の課題を切り捨てる」は短くて、強い。「共同体の中で他者とどう関わるか」は、そう簡単に持ち歩けません。
前者を握った時点で、自分の問題に答えが出た気になる人がいても不思議ではない。しかも、いちばん早く答えがほしいのは、相手の話を聞くのが面倒な人かもしれません。
読者は、本を均等には持ち帰らない
実際に、読者がどの言葉を持ち帰ったのかを調べた研究があります。
2025年の日本心理学会第89回大会で、向後千春氏は『嫌われる勇気』のAmazonレビュー3,266件を分析しました。書籍本文にキーワードが現れる頻度と、レビューでその言葉が使われる頻度を比べています。
その結果、本文での出現頻度に比べ、レビューで有意に多かったのは「トラウマ」「課題の分離」「目的論」「いま、ここ」「他者の課題」「承認欲求」など。一方、「劣等感」「ライフスタイル」「所属」などは有意に少なかったと報告されています。
この研究で分かるのは、レビューに残った言葉の偏りです。その人たちが言葉をどう使ったか、誰かを傷つけたかまでは分かりません。
だから、「読者は都合のいいところだけ読んだ」と決めつける材料にはなりません。
それでも、本に書かれたことが均等に残るわけではない、という事実は見えてきます。
だったら、「第四夜まで読めば分かる」で話を終えていいのか。
私はそこが気になります。
本に書いてある。それで済むのか
課題の分離は、人を楽にします。
相手の感情を全部背負わなくていい。その通りだと思います。
同時に、自分を点検しなくて済む言葉にもなります。
「それはあなたの課題です」
そう言う前に、自分は何をしたのか。何を説明しなかったのか。その問いを飛ばしたままでも、ずいぶん立派に聞こえてしまう。
もちろん、そんな使い方をした人の責任を、全部この本に負わせるつもりはありません。
ただ、「本には共同体感覚まで書いてあるのだから、使う人の問題です」と片づけるのも違うと思います。第3夜で強い言葉を渡し、第4夜でその先へ進む。この順番も、この本の一部なのですから。
私が職場で聞いた一言も、その人が本のどこをどう読んだ結果なのかは分かりません。
分からないまま、なお思います。
人を助ける言葉が、自分の責任から逃げたい人にも、同じ形で渡る。その危うさを「誤用」の二文字で本の外へ出してしまいたくはありません。
そして今回、「課題の分離」そのものについて調べると、もう一つ意外なことが分かりました。
そもそも、あれはアドラー本人の言葉だったのでしょうか。
次回は、その出どころを見てみます。
参考資料
岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気——自己啓発の源流「アドラー」の教え』ダイヤモンド社、2013年(出版社の目次で、第3夜「他者の課題を切り捨てる」と第4夜の配置を確認できます)
向後千春「『嫌われる勇気』はどのように読まれたか」日本心理学会第89回大会発表論文集、2025年(Amazonレビュー3,266件の分析。件数は2025年4月15日時点)
このブログ「Kazc’s Laboratory」では、身のまわりの出来事を、経営学・ゲーム理論・法律といった道具で観察しています。所長はクリーム色のチワワです。
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