「なんか買っていってくれん」——無料の杖と、営業導線が透ける瞬間

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金毘羅さんで、杖を借りた話

香川に赴任していたころの話です。

香川県の有名観光地といえば、金刀比羅宮があります。
いわゆる金毘羅さんです。

金毘羅さんといえば、長い石段です。
本宮まで続く石段を、ひたすら登っていく。
参道の両脇には、土産物店がずらっと並んでいます。

平成初期のころ、私はその金毘羅さんに行きました。

まだ若かった。
足腰も今よりは元気だった。
たぶん、世の中の仕組みに対する警戒心も、今より少し薄かった。

参道を歩いていると、土産物屋さんが声をかけてくれます。

「これから先もしんどいから、杖を持って行ってよ」

なるほど。
親切です。

これから長い石段を登る参拝者にとって、杖はたしかにありがたい。
見た目は、まあ、なかなか年季の入った杖です。
正直に言えば、立派な登山用具というより、どこかの裏に置いてあった棒に近い。

しかし、石段を前にすると、棒でもありがたい。

「まあ、こんなボロい杖でも、持っていたら楽だわ」
「親切にもタダで貸してくれるのか」
「いい人たちだ」

そう思って、私は杖を借りました。

この時点で、もう負けています。

無事に参拝を終え、石段を下り、杖を返しに借りたお店へ行きました。

すると、店の人が言います。

「なんか、買っていってくれん」

なるほど。
そう来ましたか。

ここで初めて、私は理解しました。

これは、杖の無料貸出ではなかった。

いや、形式上は無料貸出です。
しかし、実質的には、返却時に心理的負債を回収する仕組みだった。

結局、私は特に必要もないキーホルダーか何かを買って帰りました。

トホホです。

大人になって振り返ると、あまりにも見事な古典的トラップです。
昭和から平成にかけての観光地によく見られた、絵に描いたような「タダより高いものはない」です。

無料の杖は、無料ではなかった

あの商売の本質は、杖を貸すことではなかったのだと思います。

杖そのものに、大きな価値があったわけではありません。
もちろん、石段を登るうえでは役に立ちます。
しかし、商売として見たとき、本当に売っていたのは杖ではない。

売っていたのは、情報の非対称性です。

初めて金毘羅さんに来る参拝者は、その杖の貸し出しにどういう空気があるのかを知りません。

本当に無料なのか。
返すだけでいいのか。
何か買わないと気まずいのか。
借りた店に戻らないといけないのか。

その「知らない」という状態が、商品になっていた。

参拝者は、登る前に親切にされます。
杖を借ります。
石段を登ります。

途中で、たぶん何度か思います。

「借りてよかった」

そして下りてくる。
参拝も終わっている。
気分も少しほどけている。
そこで、親切に貸してくれた店へ杖を返す。

そのタイミングで、

「なんか、買っていってくれん」

です。

心理学的には、かなりよくできています。

人は、親切を受けると返したくなる。
返報性です。

しかも、タイミングが絶妙です。

借りた直後に売られるのではありません。
参拝という時間を挟みます。
その間に、「お世話になった」という感覚が育つ。

いわば、恩義の熟成です。

いやな言い方をすれば、親切の顔をした営業導線です。

焼畑農業の限界

もちろん、当時のお店の人たちが悪人だったと言いたいわけではありません。

観光地の土産物屋です。
商売です。

声をかける。
休憩させる。
お茶を出す。
試食を出す。
杖を貸す。
その流れで何か買ってもらう。

昔の観光地では、そういう商売が普通にあったのでしょう。

ただ、この商売には一つ大きな特徴があります。

知らない客が来続けることを前提にしている。

一度経験した客は、次から警戒します。

「ああ、あの杖はそういうことね」

となる。

それでも、観光地には次々と初めての客が来ます。
まだルールを知らない客が来る。
親切だと思って借りる。
返却時に気まずくなる。
何か買う。

この循環で成り立っていた。

つまり、リピーターとの信頼関係を積み上げる商売というより、知らない客を順番に刈り取っていく商売です。

少し言葉は悪いですが、焼畑農業に近い。

一度焼いた土地は、しばらく使えない。
だから、次の土地へ行く。

一度「やられた」と感じた客は、次は同じようには動きません。
だから、次の初見客が必要になる。

観光地という場所は、この焼畑型の商売と相性がよかったのだと思います。
特に昔は、情報が広がりにくかった。

帰りの車内で、

「いやあ、うまいこと買わされたなあ」

と笑って終わる。

せいぜい家族や友人に話すくらいです。
その体験は、その人の中に閉じていました。

口コミ社会は、トラップを無効化する

ところが、今は違います。

最近、また金毘羅さんを訪れる機会がありました。
すると、昔のような商売をしている店は見当たりませんでした。

参道の入口には、たくさんの杖が置いてあります。
そして、1回100円のレンタル制になっていました。

私は、それを見て少し感心しました。

これは単なる有料化ではありません。
かなり健全な変化です。

最初に「100円」と示されている。
借りる側は納得して払う。
貸す側も、返却時に妙な圧をかける必要がない。

借りる。
100円を払う。
使う。
返す。
終わり。

実にすっきりしています。

100円は、杖の使用料であると同時に、返却時の気まずさを消す料金でもあります。

では、なぜ、こう変わったのか。

一つには、インターネットの影響があるのではないかと思います。

昔なら、「やられたなあ」で終わっていた体験が、今は可視化されます。

ブログに書かれる。
旅行サイトに投稿される。
Googleレビューに残る。
SNSで共有される。

誰かの「やられた」が、次の客の予備知識になる。

つまり、情報の非対称性が崩れます。

昔は、店側だけがルールを知っていた。
今は、客も事前に知ることができる。

トラップは、知られてしまうとトラップではなくなります。

「無料の杖を借りると、返すときに何か買わないと気まずいらしい」

こう知られた時点で、その商売の効力はかなり落ちます。

しかも、今は個店だけの問題では終わりません。
一つの店の押しの強い商売が、参道全体の印象を悪くする。
金毘羅さん全体の観光体験を悪くする。

そう考えると、100円レンタル制は、観光地全体としても合理的です。

曖昧な親切を、明朗会計の契約に変えた。
これは商売の後退ではなく、むしろ進化です。

営業導線が透けた瞬間に、親切は設計になる

この話を思い出すたびに、私はビジネス記事のことを考えます。

また営業導線の話か、と言われれば、その通りです。
ただ、金毘羅さんの杖ほど、この話を分かりやすく教えてくれる教材もなかなかありません。

世の中には、親切そうな記事があります。

あなたの悩みに寄り添います。
営業は売り込みではありません。
まずは信頼を作りましょう。
顧客のために価値を届けましょう。
無料でノウハウを公開します。

言っていることは、たぶん間違っていません。
むしろ、大事なことも多い。

ただ、読み進めているうちに、ふと営業導線が透けて見えることがあります。

無料記事で認知を取る。
共感を作る。
不安を言語化する。
自分を信頼できる人に見せる。
最後に、有料note、個別相談、講座、LINE登録、コンサルへ誘導する。

商売としては分かります。

売ること自体は悪くありません。
むしろ、商売なら売ればいい。
有料記事も、相談サービスも、講座も、きちんと価値があるなら堂々と出せばいい。

問題は、売っているのに、売っていない顔をすることです。

親切に見えたものが、途中で営業導線に変わる。
善意に見えたものが、設計に見える。
読者のための文章だと思っていたものが、見込み客を育てるファネルに見える。

その瞬間に、しらけます。

ああ、杖だったのか。

そう思ってしまう。

無料の杖も同じです。

借りたときは、親切に見えました。
しかし返却時に「なんか買っていってくれん」と言われた瞬間、意味が変わった。

あの声かけは、親切ではなく入口だったのか。
あの杖は、道具ではなく導線だったのか。
自分は助けられたのではなく、心理的負債を持たされたのか。

こう見えてしまう。

営業導線は、隠れている間は親切に見えます。
しかし、見えた瞬間に設計になります。

そして、設計が透けすぎると、人は一気に冷めます。

所長は導線を隠さない

ここで、当研究所の所長を見ます。

クリーム色のチワワです。

所長は、営業導線を隠しません。

おやつがほしいとき、所長は台所を見ます。
こちらを見ます。
前足を乗せます。

導線が、丸見えです。

「飼い主のためになる癒やしを提供しています」
「これは家庭内エンゲージメント向上施策です」
「最後に少しだけジャーキーをご案内します」

などとは言いません。

最初から、最後まで、おやつです。

実に明朗会計です。

いや、会計はしていません。
だいたいこちらが一方的に支払っています。

ただ、少なくとも導線は隠していません。

所長は、親切の顔をしてこちらを誘導しません。
「無料で癒やしを提供します」と言って、あとからキーホルダーを売りつけたりもしません。

ただ、見ます。
圧をかけます。
要求します。

導線が見えているので、しらけません。

むしろ、負けます。

ここに、商売の一つの健全さがあるのかもしれません。

売るなら、売る。
借りるなら、100円と最初に言う。
おやつが欲しいなら、台所を見る。

それでいいのです。

親切の顔をした導線が、あとから見えるから気持ち悪い。
無料のように見せて、あとから心理的負債を回収するからしらける。

もちろん、すべてを明示すれば商売が成立するわけではありません。
導線を設計すること自体は必要です。
無料記事も、無料相談も、試供品も、入口としての役割があります。

ただし、そこにある商売の気配を、あまりに隠しすぎると、逆に透けたときの反動が大きい。

無料の杖は、無料ではありませんでした。
代金は、返却時の気まずさで支払われていました。

今の100円レンタルは、その意味でずっと健全です。

最初に対価が示されている。
客は納得して払う。
店も変な圧をかけない。
関係がすっきりしている。

昭和から平成にかけての観光地には、あの手の古典的トラップがたしかにありました。

でも、口コミが可視化される社会では、そうしたトラップは長く続きにくい。
知らない客を刈り取る焼畑農業は、情報が共有された瞬間に効き目を失っていく。

トラップは、知られてしまうとトラップではなくなる。

だから、これからの商売はたぶん、もっと明朗でなければならないのだと思います。

親切なら親切。
商売なら商売。
導線なら導線。

曖昧に混ぜると、うまくいくこともあります。
しかし、見えた瞬間に、客は思います。

ああ、杖だったのか。

私は平成初期の金毘羅さんで、それを学びました。

学費は、たぶんキーホルダー代です。

トホホです。

いまどき「トホホ」もないのですが、平成初期の土産物屋で買わされたキーホルダーには、この言葉がよく似合います。


本ブログでは、日常やビジネスに潜む構造を観察しています。これらの思考の土台となった、実際の紛争における人間観察と実務の全記録(全11回)は、noteマガジンに収録しています。事象を抽象化し、構造として捉えるための参考資料としてご活用ください。

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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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