後編 利得表は誰が書くのか——人はなぜ、金を失ってまで「負け」を拒むのか

前回は、囚人のジレンマを利得表から見ました。

相手が協力しても、裏切っても、自分には裏切る方が得。

相手も同じ。

その結果、二人とも裏切り、二人とも協力した場合より悪い結果になる。

誰も計算を間違えていない。

それでも全体として失敗する。

これが囚人のジレンマでした。

では、現実のトラブルはどうでしょう。

たとえば、

早く払えば終わる。

今認めれば傷が浅い。

余計なことを言わなければ、問題は大きくならない。

外から見ると、答えが一つしかないように思える場面があります。

ところが、なぜか払わない。

認めない。

謝らない。

余計な主張を足す。

そして、問題を大きくする。

一見すると、

「人間は非合理だから」

で片づけたくなります。

しかし、本当にそうでしょうか。

ここで疑った方がいいものがあります。

こちらが勝手に、相手の利得表を書いていないか。

ということです。

目次

「払った方が得」は、誰にとって得なのか

たとえば、ある問題が1万円を払えば終わるとします。

払わずに争えば、時間も手間もかかる。

最終的には3万円の負担になるかもしれない。

こちらから見れば簡単です。

選択金銭的な結果
今払う−1万円
争い続ける−3万円

だったら1万円を払えばいい。

小学生でも分かります。

たぶんナオでも分かります。

福永なら、

「何で3万円払う方を選ぶの?」

と笑うでしょう。

ところが、本人の中では別の計算が行われているかもしれません。

選択お金本人が感じる意味
今払う−1万円「負けた」「屈服した」
争い続ける−3万円「自分は折れなかった」

こうなると話は変わります。

こちらは金銭だけを見て、

「1万円と3万円なら、1万円でしょう」

と考えている。

しかし本人は、

金銭だけではなく、

面子。

自尊心。

敗北感。

そういうものにも点数を付けている。

もし本人にとって、

「負けを認める苦痛」

が2万円以上の重さを持っているなら、

3万円を失ってでも争う方が、本人の中では合理的かもしれません。

外から見ると、

「何をやっているんだ」

という話です。

でも、本人の利得表では計算が合っている。

ここが厄介です。

人間が非合理なのではなく、こちらが利得を読み違えている

私たちは、人の行動を見てよく言います。

「普通なら、そんなことはしない」

「損するだけなのに」

「合理的に考えれば分かるだろう」

しかし、この「合理的」という言葉には、かなり危ないところがあります。

誰の合理性なのか。

こちらは、お金を失うことを損だと思っている。

相手は、面子を失うことの方を損だと思っている。

こちらは、早く終わることを得だと思っている。

相手は、最後まで抵抗したことを得だと思っている。

こちらは、謝罪を問題解決だと思っている。

相手は、謝罪を敗北だと思っている。

同じ出来事を見ていても、点数の付け方が違う。

すると、

同じゲームをしているつもりで、実は別のゲームをしている。

ということが起きます。

これはかなり危険です。

「早く払えば終わる」が通じない理由

外から見れば、

今払えば終わる。

それだけです。

しかし本人の中では、

今払う。

↓

相手の要求を認めたことになる。

↓

自分が間違っていたことになる。

↓

相手が正しかったことになる。

↓

自分が負けたことになる。

と変換されているかもしれない。

すると、こちらが、

「今払えば一番損が少ないですよ」

と言っても、説得になりません。

むしろ、

「負けろと言っている」

ように聞こえる。

こちらが、

「証拠上、これは明らかです」

と言えば、

「自分を悪者にしようとしている」

と受け取る。

こちらが、

「争っても不利ですよ」

と言えば、

「脅している」

と受け取る。

こちらは損失の話をしている。

相手は自己像の話をしている。

話が合うはずがありません。

将棋を指しているつもりなのに、相手が突然ドッジボールを始める。

しかもボールに「信義則」と書いてある。

かなり困ります。

面子は「ノイズ」ではない

ここで、

「つまり感情が合理的判断を邪魔しているんですね」

と考えたくなります。

しかし、それも少し違います。

少なくとも、ここまでの話では。

本人が最初から、

「お金を失うより、負けを認める方が嫌だ」

という選好を持っているなら、

面子は判断を狂わせるノイズではありません。

本人にとっては、最初から利得の一部です。

つまり、

こちらが金銭だけを利得だと思っていた。

相手はそこに面子も入れていた。

ただ、それだけかもしれない。

ゲーム理論の側から見れば、

金でなくても構いません。

評判でもいい。

名誉でもいい。

自尊心でもいい。

本人が価値を置いているなら、利得として扱えます。

だから、

「金銭的には損だから非合理だ」

とは限らない。

本人の選好がある程度安定しているなら、

その選好のもとでは、一貫した選択をしていることがあります。

もちろん、

その選好が賢いかどうか。

社会的に望ましいかどうか。

法的に通るかどうか。

それは別の話です。

本人の中で合理的であることと、その行動が正しいことは同じではありません。

ここは分けておいた方がいい。

「何でも合理的だった」で済ませてはいけない

ただし、ここには注意が必要です。

人が何か妙なことをするたびに、

「本人にとっては何か利得があったのでしょう」

と説明してしまえば、

何でも合理的だったことにできます。

3万円使って争った。

「面子に3万円以上の価値があったのでしょう」

5万円使った。

「それだけ自尊心が大切だったのでしょう」

10万円まで使った。

「本人にとっては、それでも争う価値があったのでしょう」

ここまで行くと、少し怪しくなります。

何が起きても説明できる理論は、

説明しているようで、何も説明していないことがあります。

だから、

「相手には見えない利得があるかもしれない」

という仮説は便利ですが、

万能鍵にしてはいけません。

大事なのは、

観察できる行動から、何を重く評価しているのかを慎重に推測すること。

そして、

その推測を事実そのものと取り違えないことです。

書面には、利得表がにじむ

現実のトラブルでは、相手の頭の中を見ることはできません。

秋山深一が横にいて、

「この人が守ろうとしているものは面子です」

と黒板に書いてくれるわけでもない。

そんな人が一人いたら便利ですが、普通はいません。

では、どうやって読むのか。

書面があります。

メールがあります。

時系列があります。

相手が何を繰り返し主張しているかを見る。

本筋と関係のないところで、なぜ強く反応するのかを見る。

金額の話をしているのに、なぜ人格の話が出てくるのか。

事実の話をしているのに、なぜ突然、

「常識」

「信義」

「社会通念」

といった大きな言葉が増えるのか。

そこには、

本人が何を失うことに耐えられないのか、

がにじむことがあります。

もちろん、心理を断定してはいけません。

書面から本人の内面すべてが分かるわけではない。

しかし、

相手が何を争点だと思っているか

は見える。

こちらは金銭を争点だと思っている。

相手は、

「自分が悪者にされたこと」

を争点だと思っている。

このズレが分かるだけでも、盤面はかなり見やすくなります。

相手のゲームに参加しない

では、相手が面子を利得にしていると分かったら、こちらも面子で戦うべきでしょうか。

たぶん逆です。

相手が、

「自分は悪くない」

というゲームを始めたからといって、

こちらまで、

「いや、お前が悪い」

というゲームに入る必要はない。

こちらが必要なのは、

事実。

金額。

日付。

文言。

記録。

このあたりです。

地味です。

ものすごく地味です。

LIAR GAMEのような華麗な心理戦ではありません。

しかし、現実ではこの地味さが強い。

相手が物語を膨らませるほど、

こちらは事実を小さく並べる。

相手が大きな言葉を使うほど、

こちらは具体的な一文を見る。

相手が感情を持ち込むほど、

こちらは記録に戻る。

これは相手を説得するためだけではありません。

相手の利得表に、自分まで巻き込まれないためです。

面子ゲームに面子で応じれば、

こちらの側にも、

「勝ちたい」

「言い返したい」

「分からせたい」

という別の利得が入り始めます。

そうなれば、こちらまで損な手を打ちかねない。

これは避けたい。

ゲーム理論が外れたのではない

ここで、前回の話に戻ります。

囚人のジレンマでは、

同じ利得構造の中で、

二人が合理的に動いた結果として、

二人とも悪い場所へ着地しました。

今回見ている問題は、それとは違います。

そもそも、こちらと相手で点数の付け方が違う。

こちらは、

金銭。

時間。

法的リスク。

で点数を付けている。

相手は、

面子。

自尊心。

屈服感。

といったものまで点数に入れているかもしれない。

だから予測が外れる。

これは、

「ゲーム理論は人間の感情を説明できない」

という話ではありません。

むしろ、

モデルを作る側が、相手の利得を勝手に決めると読み違える。

という話です。

盤面が間違っているのではない。

点数を書いたこちらが間違っているのかもしれない。

ただし、人は途中で変わることもある

ここまでの話には、一つ前提があります。

本人が、

何を得と思い、

何を損と思うかが、

ある程度安定していることです。

しかし現実には、もっと面倒なことも起きます。

最初は大して重要でなかった争いが、

長く争ううちに引けなくなる。

ここまで時間を使った。

ここまで金を使った。

ここまで主張した。

だから今さら撤回できない。

そうして、

ゲームの途中で本人自身の評価軸が変わっていく。

これは今回の話とは少し性質が違います。

最初から面子を重く評価していた人が、

その利得に従って行動すること。

争い続けるうちに、

「ここで引いたら、これまでの自分が無駄になる」

と感じ始めること。

この二つは同じではありません。

後者には、

サンクコスト。

認知的不協和。

自己正当化。

といった別の問題が入ってきます。

こちらは、また別の機会に見た方がよさそうです。

人間は、

相手と違う利得表を持つだけではない。

ときには、

自分自身の利得表まで途中で書き換えてしまう。

そこまで行くと、盤面はもう一段面倒になります。

人は、何を損だと思っているのか

人を見るとき、

「この人は合理的か、非合理的か」

と二つに分けるより、

もう少し面白い問いがあります。

この人は、何を得だと思っているのか。

何を損だと思っているのか。

何を失うことには耐えられて、何を失うことには耐えられないのか。

お金を失うことより、

面子を失うことが嫌な人がいる。

時間を失うことより、

自分の正しさを失うことが嫌な人がいる。

信用を失うことより、

相手に頭を下げることが嫌な人さえいる。

そこまで分かると、

「なぜ、こんな損なことをするんだ」

という行動が、

少し違って見えます。

賢いとは思わない。

正しいとも思わない。

ただ、

こちらが想定した利得表では説明できないからといって、直ちに非合理だとは限らない。

そのくらいの距離で見る方が、たぶん正確です。

現実の人間は、

ゲーム理論から外れた存在なのではありません。

こちらが思っているより多くのものに、

勝手に点数を付けて生きている。

金。

信用。

面子。

怒り。

屈辱。

自己像。

全部が同じ価値ではない。

そして、その点数は本人にしか分からない。

だから現実は面倒くさい。

所長の場合は、おそらくそこに、

「おやつ」

がかなり大きな数字で入っています。

少なくとも、この利得だけは読み違えない方がよさそうです。


このブログ「Kazc’s Laboratory」では、身のまわりの出来事を、経営学・ゲーム理論・法律といった道具で観察しています。所長はクリーム色のチワワです。

こうした見方の“元ネタ”になったのが、私が実際に経験した裁判です。その全記録――本物の準備書面や答弁書つき――は、note『裁判闘争記』にまとめています(一部有料)。原理はこのブログで、実戦はあちらで。

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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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