相手が物語で走るなら、こちらは記録で歩く——認知的不協和に巻き込まれないための話

前回は、LIAR GAMEと認知的不協和を手がかりに、人が自分の嘘を本当にしていく過程を見ました。

嘘が、本人の中で物語になる。

物語が、正当化になる。

正当化が、やがて本人にとっての「本当」のような顔をし始める。

そのとき、本人は必ずしも「嘘をついている」という自覚を持っているとは限りません。

むしろ、自分を正しい側に置き、自分を被害者として語り、自分の行動を仕方なかったものとして理解していることがあります。

今回は、その続きです。

現実の裁判や交渉で、そういう物語に出会ったとき、こちらはどうすればよいのか。

相手の認知的不協和に、こちらまで巻き込まれないためには何が必要なのか。

そこを考えてみます。

目次

現実の裁判でも、似たものを見ることがある

ここから少し、現実の話です。

私が経験した裁判でも、相手方の主張を読んでいて、単なる事実の食い違いとは少し違うものを感じる場面がありました。

もちろん、裁判では双方の主張が対立します。

原告と被告で見方が違う。

それ自体は当然です。

しかし、ときどき、主張の背後にこういう構造が見えることがあります。

自分たちは悪くない。
だから、過去の出来事も、その結論に合うように理解されなければならない。

これは、事実から結論へ向かっているのではありません。

結論から事実を並べ替えている。

先に「自分たちは悪くない」がある。

そのあとで、出来事に意味をつけていく。

都合の悪い事実は小さくする。

都合のよい言葉は大きくする。

相手の言動には強いラベルを貼る。

自分の行動には、やむを得なかったという説明を付ける。

こうして、主張全体が一つの物語になります。

問題は、その物語が、外から見るとかなり無理をしていることです。

しかし、本人たちの中では、おそらくそれなりに筋が通っている。

少なくとも、そう思わなければやっていられない。

このあたりが、認知的不協和の実に人間くさいところです。

「見苦しい」と見るより、「構造として面白い」と見る

こういう主張に出会うと、最初は腹が立ちます。

何を言っているのか。

どの口が言うのか。

その事実経過で、なぜそういう結論になるのか。

そう思います。

これは自然です。

こちらも人間です。

当研究所の所長でも、おやつを横取りされたうえに「最初から私のおやつでした」と言われたら、たぶん怒ります。

かなり怒ります。

しかし、少し距離を置いて見ると、別の見え方もできます。

これは、見苦しいというより、構造として興味深い。

人は、自分を守るために、ここまで物語を組み替えるのか。

自分が悪い側に立つことを避けるために、ここまで言葉を積み上げるのか。

不利な事実を認めるより、無理のある説明を守る方を選ぶのか。

そう見ると、相手の主張は単なる不愉快な文書ではなく、人間の防衛反応の標本のように見えてきます。

もちろん、だからといって許されるわけではありません。

間違った主張は、間違った主張です。

不合理な説明は、不合理な説明です。

しかし、こちらが感情的に巻き込まれすぎる必要はなくなります。

ああ、これは自分を守るための物語なのだな。

そう見えるだけで、少し冷静になれます。

嘘を見抜くより、嘘が必要になった理由を見る

人間関係や裁判で相手の主張に接するとき、こちらはつい「嘘か本当か」だけを見てしまいます。

もちろん、それは大事です。

事実認定では、嘘か本当かは重要です。

しかし、もう一段深く見るなら、

なぜ、その人にはその嘘が必要だったのか。

を考えると、見え方が変わります。

その嘘がないと、自分が悪者になってしまう。

その説明がないと、自分の行動を正当化できない。

そのラベルがないと、相手を悪者にできない。

その物語がないと、自分の精神が保てない。

そういう場合、人はかなり強くその嘘にしがみつきます。

嘘というより、救命胴衣です。

穴は空いています。

でも、本人はそれを手放せません。

手放した瞬間、自分が沈むと思っているからです。

この状態の人に向かって、

それは嘘ですよね。

と言っても、簡単には通じません。

本人にとっては、それはもう単なる嘘ではないからです。

自己防衛の一部になっている。

だからこそ、こちらは冷静に構造を見る必要があります。

裁判では、物語より証拠が強い

ただし、現実の裁判には救いがあります。

それは、最終的には証拠がものをいう、ということです。

どれだけ立派な物語を作っても、証拠と合わなければ崩れます。

どれだけ相手にラベルを貼っても、書面や記録が違う方向を向いていれば、そのラベルは剥がれます。

どれだけ自分を被害者として描いても、時系列がそれを支えなければ、物語は宙に浮きます。

ここは、裁判制度のかなり良いところです。

人間は物語を作ります。

しかし、証拠は比較的無口です。

無口ですが、強い。

メールの日付。

振込の記録。

書面の文言。

送達の日。

入金額。

不足額。

こういうものは、感情にあまり付き合ってくれません。

私はこう感じた。

と言っても、記録は記録です。

相手が悪い。

と言っても、日付は日付です。

社会が許さない。

と言っても、金額は金額です。

この無愛想さが、かえってありがたい。

人間の物語が暴走したとき、証拠はブレーキになります。

所長のおやつ事件でも同じです。

所長がどれだけ「食べていません」という顔をしても、口の周りにビスケットの粉がついていれば、話はだいたい終わりです。

証拠は、口ほどにものを言います。

場合によっては、口よりよほど正直です。

相手の認知的不協和に巻き込まれない

この話の実用的な意味は、ここにあります。

相手が不合理な主張をしてきたとき、こちらはつい怒ります。

当然です。

しかし、相手の主張が認知的不協和から来ていると見れば、少し距離が取れます。

この人は、事実を見ていない。

自分を守る物語を見ている。

この人は、こちらを攻撃しているようで、実は自分の自己イメージを守っている。

この人は、こちらに勝とうとしているだけでなく、自分が悪者になることを避けようとしている。

そう見えると、反応の仕方が変わります。

相手の感情に、こちらの感情をぶつけなくてよい。

相手の物語に、こちらが住みに行かなくてよい。

ただ、事実を並べる。

証拠を確認する。

時系列を整理する。

論点を戻す。

これでよい。

LIAR GAMEのように、相手を劇的に追い詰める必要はありません。

現実の裁判は、もっと地味です。

しかし、地味でよいのです。

むしろ、地味な方が強い。

相手が物語で走っているときほど、こちらは記録で歩く。

このくらいでちょうどいい。

嘘を責めるより、事実に戻る

人は、自分の嘘を本当にすることがあります。

ただし、それをこちらが正面から責めても、あまり生産的ではないことがあります。

あなたは嘘をついている。

と言えば、相手はさらに防御します。

さらに物語を補強します。

さらに被害者ポジションに入ります。

そこで大事なのは、嘘を人格問題にしすぎないことです。

もちろん、嘘はよくありません。

しかし、こちらの対応としては、

その説明は、この証拠と合いません。
その主張は、この時系列と矛盾します。
その評価は、この文言からは導けません。

と、事実に戻す方が強い。

相手の人格を裁くのではなく、相手の説明を検証する。

これが大事です。

この態度は、ブログを書くときにも役に立ちます。

誰かを「嘘つき」と断定するより、

その人は、自分を守るために、こういう物語を必要としていたように見える。

と書く方が深い。

そして、おそらく強い。

まとめ:人は、現実より先に自分を守る

人間は、自分が思っているほど合理的ではありません。

都合の悪い現実に直面したとき、人はまず現実を見ようとするとは限りません。

先に、自分を守ろうとします。

自分は悪くない。

自分は間違っていない。

自分は正しい側にいる。

そう思うために、出来事の意味を組み替える。

相手にラベルを貼る。

自分の行動に理由をつける。

そして、最初は言い訳だったものが、いつの間にか本人の中で真実のようになっていく。

LIAR GAMEが面白いのは、その嘘をめぐる心理の動きが見えるからです。

現実の裁判がしんどいのは、それと似たことが、もっと地味で、もっと生々しい形で起きるからです。

ただ、そこに気づくと、少し楽になります。

相手が見苦しいのは、強いからではない。

むしろ、自分を守る物語にしがみついているからです。

そう見れば、こちらは感情的に巻き込まれずに済みます。

必要なのは、相手の物語に怒鳴り返すことではありません。

事実に戻ること。

証拠に戻ること。

時系列に戻ること。

そして、相手のラベルではなく、実際に何が起きたのかを見ること。

当研究所としては、最後にこう整理しておきます。

人は、自分の嘘を本当にすることがある。
だからこそ、こちらは相手の物語ではなく、事実を見る。
ラベルではなく、構造を見る。
感情ではなく、記録に戻る。

所長なら、たぶんこう言うでしょう。

おやつを食べたかどうかは、物語ではなく、口の周りを見なさい。

……いや、実際には「ワン」としか言いません。

しかし、口の周りにビスケットの粉がついているとき、所長の沈黙はなかなか雄弁です。


本ブログでは、人間関係や交渉に潜む構造を整理しています。相手の不合理な物語に巻き込まれず、説得を諦めて「司法の公の記録」へ目的を切り替えた過程と思考の記録、および実際の書面構成は、noteマガジンにまとめています。

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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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