「何に乗っても速い」という残酷な褒め言葉 後編——バレンティーノ・ロッシとドゥカティ、勝利にならなかった翻訳

前編では、エディ・ローソンがYZR500からNSR500へ乗り換え、移籍初年度に世界王者となった話を書きました。

ただし、ローソンはNSR500を完全に自分のバイクへ仕上げてから勝ったわけではありません。

ローソンが違和感を伝える。アーブ・カネモトが走りを観察する。技術陣が車体を変える。ローソンが走り、その答えを返す。

翻訳の往復は、シーズンを通じて続きました。

それでもバイクは、最後まで完成しなかった。

ローソンは、その完成を待ちませんでした。

全15戦のうち13回表彰台に立ち、直りきらないNSRでポイントを積み続け、世界王者になった。

何に乗っても速い。

その言葉がローソンに似合うのは、どんなバイクでも簡単に乗りこなしたからではありません。

翻訳が終わらなくても、選手権を止めなかったからです。

そして後に、同じ言葉をもっと大きな形で背負ったライダーが現れます。

バレンティーノ・ロッシです。

目次

ロッシなら、また何とかする

バレンティーノ・ロッシは、単に速いだけのライダーではありませんでした。

黄色。

46番。

派手なパフォーマンス。

観客を巻き込み、レース全体を自分の物語にしてしまう力。

ただ、その人気を支えていたのは、やはり結果です。

ロッシはホンダで最高峰クラスを三年連続で制したあと、2004年にヤマハへ移りました。

前年のヤマハは、一勝もしていません。

勝てるホンダを離れ、勝てていないヤマハへ行く。

普通に考えれば、かなり危険な移籍です。

ところがロッシは、ヤマハでの初戦となった南アフリカGPで勝ちました。

チェッカーを受けたあと、ロッシはYZR-M1を止め、マシンへ顔を寄せました。

キスをしているようにも、礼を言っているようにも見えました。

あの場面は、今でもよく覚えています。

ホンダから来た王者が、ヤマハでの最初のレースに勝った。

ライダーがバイクを勝たせたのか。

バイクがライダーを勝たせたのか。

その区別が、一瞬どうでもよくなりました。

ロッシとヤマハが、最初から一つのものに見えたのです。

もちろん、ロッシ一人の仕事ではありません。

ジェレミー・バージェスをはじめ、ホンダ時代からロッシを支えたクルーもヤマハへ移りました。ヤマハの技術陣も、ロッシの要求を受け止め、YZR-M1を変えていった。

それでも、ファンは物語を一人へ集めます。

ホンダで勝った。

ヤマハでも最初から勝った。

ならば、この男が乗れば、どんなバイクでも勝てるのではないか。

そんな神話が生まれました。

だから2011年、ロッシがドゥカティへ移ると決まったとき、多くの人が思いました。

「ロッシなら、また何とかするのではないか」

私も、そう思いました。

イタリアを代表するライダーが、イタリアのバイクで世界王者になる。

あまりにも出来すぎた話です。

だからこそ、見てみたかった。

ドゥカティは、勝てないバイクではなかった

ロッシ加入前のドゥカティを、「速くないバイク」と片づけることはできません。

ケーシー・ストーナーは2007年、ドゥカティで世界チャンピオンになっています。

ストーナーがドゥカティで挙げた勝利は23。

デスモセディチには、世界王者になれる速さがありました。

少なくとも、ストーナーはそこから速さを取り出していた。

この事実があるから、ロッシとドゥカティの二年間は単純ではありません。

ロッシが勝てなかった。

だからバイクが悪かった。

そうは言い切れない。

ストーナーが勝てた。

だからロッシの能力が足りなかった。

それも乱暴です。

同じバイクに乗っても、すべてのライダーが同じものを感じるわけではありません。

ストーナーが許容できた動きを、ロッシは信用できなかったのかもしれない。

ストーナーが速さへ変えられた性格を、ロッシは自分の走りへ結びつけられなかったのかもしれない。

ストーナーには、ストーナーの速さの出し方があった。

ロッシには、ロッシの速さの出し方があった。

問題は、当時のデスモセディチがロッシの方法へ近づくことができるか。そしてロッシが、デスモセディチの方法へ自分を近づけられるかでした。

ロッシらしく走れない

ドゥカティへ移ったロッシは、すぐに問題へ直面しました。

とくに繰り返し語られたのが、フロントへの信頼感です。

どこまでブレーキを残せるのか。

どの速度でコーナーへ入れるのか。

フロントタイヤが、どこまで路面をつかんでいるのか。

ライダーがその感触を信じられなければ、限界まで踏み込むことはできません。

外から見ていても、ロッシがロッシらしく走れていないことは分かりました。

コーナーへ飛び込むときの確信がない。

バイクの上で遊ぶような余裕がない。

攻めているのに、どこか探っている。

ロッシが急に遅くなったようには見えませんでした。

ドゥカティに速さがまったくないようにも見えませんでした。

ただ、ロッシが必要としている感触と、バイクが返してくるものが一致していなかった。

そして、そのずれを直す作業も、簡単には進みませんでした。

変えた。それでも届かなかった

当時のデスモセディチは、日本メーカーのマシンとは異なる車体構成を採っていました。

エンジンを車体の構造材として利用し、カーボン製の部材でステアリングヘッド周辺を構成する独特の設計です。

ドゥカティが、何となく奇抜なことをしていたわけではありません。

軽さや剛性、パッケージングを考えた、彼らなりの合理性がありました。

しかし、ロッシはフロントの感触をつかめず、より一般的なアルミ製フレームを求めました。

ドゥカティは、その要求に応じます。

カーボン製の構成から、アルミ製フレームへ。

これは細かな調整ではありません。

マシンの根本へ手を入れる、大きな変更です。

メーカーが自分たちの設計を頑固に守り、ロッシの要求を無視したわけではありません。

ドゥカティは、実際に変えました。

ところが、大きく変えても、結果は期待したほど改善しませんでした。

要求は伝わった。

設計も変わった。

それでも、勝てる感触にはならなかった。

ここに、この二年間の難しさがあります。

翻訳が止まった場所

ライダーの言葉は、そのまま設計図にはなりません。

「フロントを信用できない」

「曲がらない」

「限界が分からない」

ライダーが感じるのは、車体全体から返ってくる感覚です。

しかし技術者は、それを具体的な原因へ分けなければなりません。

剛性なのか。

重量配分なのか。

エンジンの搭載位置なのか。

サスペンションなのか。

電子制御なのか。

あるいは、それらが複雑に絡んでいるのか。

前編で、ローソンがNSRを「曲がらない」と表現したとき、カネモトはコーナーまで行って走りを見ました。

そして、その場面で起きている現象へ置き換え、車体側の変更として返した。

ライダーの感覚を、技術の言葉へ翻訳したのです。

ロッシとドゥカティの間でも、同じ作業が必要でした。

しかし、ロッシ側のクルーとドゥカティのエンジニアは、開発の進め方や問題の捉え方を十分に共有できていなかったともいわれます。

ロッシとバージェスたちには、日本メーカーとの長い経験から得た開発の方法がありました。

ドゥカティには、自分たちの設計思想と、ストーナーとともに勝った経験がありました。

双方に、実績によって証明された正解があった。

だからこそ、一方の感覚を他方の技術へ置き換える作業は難しかったのかもしれません。

言葉が届かなかったのではない。

変更が行われなかったのでもない。

それでも、ロッシが求める感触を、デスモセディチの速さを失わずに実現する答えが見つからなかった。

翻訳は行われていました。

ただ、それが勝利へつながる形にはならなかった。

翻訳が終わらない間に、何を持ち帰れるか

前編のローソンも、翻訳を完成させたわけではありません。

NSRのシャシー開発は、一年を通じて続きました。

望んだバイクを最後まで手に入れられなかった。

それでもローソンは、15戦のうち13回表彰台へ立ちました。

翻訳が終わるのを待たず、2位や3位を持ち帰り、選手権をまとめ切った。

ロッシとドゥカティにも、翻訳の往復はありました。

しかし、その途中で継続的に結果を持ち帰れる範囲を作ることができませんでした。

2011年、ロッシの表彰台はル・マンでの3位一度だけ。年間ランキングは7位でした。

2012年には2位を二度獲得しましたが、優勝には届かず、年間6位。

二年間で表彰台は三回。

勝利はありませんでした。

ただし、この違いを陣営の働きだけに帰すこともできません。

1989年のNSR500には、扱いにくさとは別に、勝負できる絶対的な速さがありました。ローソンが直面していた主な問題は、その速さをどう扱い、どう安定して引き出すかでした。

だからローソンは、望んだ感触に届かない日にも、その絶対的な速さを失わない範囲で折り合いをつけ、2位や3位を持ち帰ることができた。

一方、ロッシとドゥカティの問題は、単に扱いにくい速いバイクをどうまとめるか、だけではありませんでした。

ロッシが信頼して走れる感触と、勝利へ届く速さを、同じ場所で成立させることができなかった。

時代も、レース数も、競争環境も違います。

ローソンとロッシの数字を、そのまま能力比較に使うことはできません。

組み合わせとして何を持ち帰れたかは、ライダーや技術陣の働きだけでなく、そもそもバイクがどの位置から始まっていたかにも左右されます。

ローソンとカネモトの陣営には、扱いにくくても勝負できる速さがありました。

ロッシとドゥカティは、信頼できる感触と、勝てる速さの両立点を見つけられなかった。

似ているようで、同じ問題ではありません。

「相性」では少し足りない

ロッシとドゥカティは相性が悪かった。

そう言えば、大筋では間違っていないのでしょう。

しかし、「相性」という言葉だけでは少し足りません。

相性というと、出来上がったライダーと、出来上がったバイクが出会い、最初から合うか合わないかが決まっているように聞こえます。

実際には、ライダーもバイクも変わります。

ロッシは、ドゥカティの乗り方を探しました。

ドゥカティも、ロッシの要求に応じ、車体の構成まで変えました。

それでも、二つの変化が同じ場所で出会わなかった。

そして、その途中で戦える最低線も作れなかった。

「相性が悪かった」だけで終わらせると、その試行錯誤も、うまくいかなかった具体的な場所も消えてしまいます。

ロッシは終わっていなかった

ロッシは2013年、ヤマハへ戻りました。

そして同年のオランダGPで、再び優勝します。

2014年には年間ランキング2位。

2015年には、最終戦までタイトルを争いました。

ドゥカティで勝てなかったのは、ロッシがすでに勝てないライダーになっていたからではありません。

ヤマハへ戻ったあとも、十分に速かった。

ロッシの中から、速さが消えていたわけではない。

戻った先には、ロッシの感覚を知る人がいて、ロッシもバイクの言葉を知っていた。

以前から続いていた会話を、再開することができた。

ただし、その後の成功が、ドゥカティでの二年間を帳消しにするわけではありません。

ロッシは、再び勝ちました。

しかし、ドゥカティでは勝てなかった。

両方が事実です。

ドゥカティも、そこで終わらなかった

同じことはドゥカティにも言えます。

ロッシと勝てなかったからといって、ドゥカティの方法が永遠に間違っていたわけではありません。

その後、ドゥカティは組織と開発の進め方を変え、デスモセディチを変えていきました。

一人の特別なライダーだけが速さを引き出すバイクではなく、異なる乗り方をする複数のライダーが勝てるバイクへ。

ライダーから得た情報を、サテライトチームも含めて集め、比較し、開発へ戻す。

個性を捨てたのではありません。

個性を勝利へつなげる回路を、組織として作り直したのだと思います。

ロッシ時代の経験が、その後の成功へどこまで直接つながったのかは、外から簡単には断定できません。

ただ、ドゥカティが「ロッシでも勝てなかったバイク」のまま終わらなかったことは確かです。

ドゥカティは、その後再び世界王者を生み出しました。

しかし、それもロッシとの二年間を帳消しにはしません。

ドゥカティは、後に勝ちました。

しかし、ロッシとは勝てなかった。

ここも、両方が事実です。

二つの正解が、一つの勝ち方にならない

勝てなかった組み合わせを見ると、私たちは原因を一つに決めたくなります。

ライダーが悪かった。

バイクが悪かった。

技術陣が頑固だった。

ライダーの要求が多すぎた。

原因を一人へ集めれば、話は分かりやすくなります。

しかし、ロッシには、ホンダとヤマハで勝った実績がありました。

ドゥカティには、ストーナーとともに勝った実績がありました。

双方ともに、自分たちの方法で成功していた。

ロッシには、勝てるバイクについての確信があった。

ドゥカティには、速いバイクについての確信があった。

どちらも、根拠のない思い込みではありません。

実績によって証明された正解です。

しかし、二つの正解を組み合わせれば、さらに正しい答えが生まれるとは限らない。

それぞれの成功を支えた前提が違えば、同じ言葉を使っていても、別の意味を話していることがあります。

ロッシとドゥカティの間で起きたのは、そのようなことだったのかもしれません。

誰も何もしなかったわけではない。

互いに変わろうともした。

それでも、勝利にはならなかった。

ここは、きれいに救済してしまわない方がいいのでしょう。

優れたもの同士を組み合わせても、優れた結果にならないことはあります。

「何に乗っても速い」の残酷さ

「何に乗っても速い」

本当に格好いい言葉です。

ローソンは、ヤマハからホンダへ移っても勝ちました。

ロッシは、ホンダからヤマハへ移っても勝ちました。

だからロッシがドゥカティへ移ったとき、また同じことが起きると期待された。

一度、不可能に見えることをやった人は、次からそれを当然のように求められます。

前にもできたのだから、今回もできるはず。

しかし、最初の成功には、そのときのバイクがあり、技術者がいて、組織があり、時間がありました。

ライダー一人が、完成した速さを鞄へ入れ、次のチームへ持っていったわけではありません。

速さを持ち運べる人はいます。

ただし、持ち込んだ速さを新しい場所で使える形にするには、そこでも翻訳の往復が必要です。

そして、その翻訳は、必ずしも完成しません。

完成しないなら、完成しないまま何を持ち帰れるかが問われる。

ただし、持ち帰れるものは、ライダーの腕だけでは決まりません。

ローソンには、扱いにくくても勝負できる速さを持ったNSRがありました。

ロッシとドゥカティは、信頼して走れる感触と、勝利へ届く速さを同時に作ることができませんでした。

だからといって、ローソンだけに翻訳能力があり、ロッシにはなかったという話ではありません。

ローソンにもカネモトがいた。

ロッシにもバージェスがいた。

メーカー側の技術者がいて、バイクがあり、タイヤがあり、時代があった。

結果は、ライダー一人の能力測定ではありません。

それでも、結果は残ります。

速さは、人間の中だけにあるのではありません。

バイクの中だけにあるのでもありません。

人間とバイクと、その間で言葉を交わす技術者や組織の中に生まれます。

「何に乗っても速い」という褒め言葉が残酷なのは、その間にあるものをすべて消してしまうからです。

技術者を消す。

試行錯誤を消す。

マシンがもともと持っていた速さも消す。

未完成のバイクで拾った2位や3位を消す。

そして最後に、勝ったか、勝てなかったかだけを、ライダー一人へ返す。

ロッシとドゥカティの二年間は、誰か一人の失敗では説明できません。

優れたライダーがいる。

優れたメーカーがある。

互いに変わろうともした。

それでも、勝利にならないことがある。

レースが単純な英雄譚では終わらないのは、たぶん、こういうことなのだと思います。


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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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