『タコピーの原罪』という作品があります。
かわいらしい絵柄。
不思議な宇宙人。
「ハッピー」という言葉。
子どもたちの世界。
表面だけを見ると、少し変わったハートフルな物語のようにも見えます。
しかし、実際に読んでみると、その印象はかなり早い段階で崩れます。
これは、かわいいキャラクターが人間を幸せにする話ではありません。
むしろ、善意だけでできた存在が、人間の不幸を理解できないまま介入してしまう話です。
私はこの作品を、単なる衝撃作として消費するのは惜しいと思っています。
もちろん、読んでいて楽な作品ではありません。
むしろ、かなりしんどい。
明るい気持ちでページをめくるタイプの作品ではない。
それでも、読んでほしいと思うのです。
なぜなら、この作品は、私たちが普段あまり疑わずに使っている言葉を、かなり深いところから揺さぶってくるからです。
善意。
救い。
対話。
仲直り。
ハッピー。
どれも、普通はよい言葉です。
善意があるのはよいことです。
誰かを救おうとするのもよいことです。
対話することも、仲直りすることも、ハッピーでいることも、たぶん大切です。
ただし、この作品は問いかけてきます。
それは、本当に相手を見た言葉なのか。
相手の置かれた場所を知らないまま、
相手の痛みを知らないまま、
相手の逃げ場のなさを知らないまま、
それでもなお、
「笑えばいい」
「仲良くすればいい」
「お話しすればいい」
「ハッピーになればいい」
と言ってしまうことは、果たして救いなのか。
ここに、この作品の怖さがあります。
タコピーは、悪意の存在ではありません。
むしろ、悪意がありません。
たぶん、ほとんど全部が善意です。
誰かを傷つけたいわけではない。
誰かを支配したいわけでもない。
しずかちゃんをハッピーにしたい。
ただ、それだけです。
しかし、悪意がないことは、害を生まないことを意味しません。
むしろ、悪意がないからこそ怖いことがあります。
悪意ある人間は、まだ分かりやすい。
この人は傷つけようとしている。
この人は利用しようとしている。
この人は支配しようとしている。
そう判断できることがあります。
しかし、善意だけで近づいてくる存在は、もう少し厄介です。
本人はよいことをしていると思っている。
相手のためだと思っている。
笑顔にしたいと思っている。
救いたいと思っている。
だから、自分の介入が相手を追い詰めているかもしれない、という発想にたどり着きにくい。
『タコピーの原罪』が描いているのは、まさにこの怖さだと思います。
善意は、相手を見なければ暴力になる。
これは、かなり重い言葉です。
そして、かなり現実的な言葉でもあります。
私たちの周りにも、似たような場面はあります。
「前向きに考えよう」
「話せば分かる」
「相手にも事情がある」
「あなたにも悪いところがあったんじゃないか」
「もっと素直になればいい」
「感謝の気持ちを持とう」
もちろん、これらの言葉が常に悪いわけではありません。
場面によっては、人を支えることもあります。
傷ついた人を少し楽にすることもあります。
関係を修復するきっかけになることもあります。
しかし、相手が置かれている状況を見ないまま、こうした言葉を差し出すと、それは救いではなくなることがあります。
極限状態にいる人に、
逃げ場のない人に、
力関係の中で押しつぶされている人に、
「お話ししよう」
「仲良くしよう」
「笑っていよう」
と言うことが、どれほど残酷になりうるか。
この作品は、それをかわいい絵柄で描きます。
だから、余計につらい。
絵柄が重苦しくないから、油断してしまう。
言葉がやわらかいから、救いの物語に見えてしまう。
タコピーが無邪気だから、こちらも最初は少し信じてしまう。
でも、読み進めるほどに分かってきます。
無邪気であることは、免罪符ではない。
知らなかったから仕方ない。
悪気はなかった。
助けたかっただけだった。
そういう言葉で済まないことが、この作品にはあります。
ただし、この作品は、単純に「善意は危険だ」と言っているわけでもないと思います。
善意そのものが悪いのではありません。
問題は、善意が相手を見ていないことです。
自分の信じるハッピーを、そのまま相手に渡せば救いになると思ってしまうこと。
自分の世界のルールを、人間の壊れかけた現実にそのまま持ち込んでしまうこと。
相手の言葉を聞く前に、解決策を出してしまうこと。
そこに、タコピーの危うさがあります。
そして、たぶん私たち自身の危うさもあります。
私がこの作品を読んでいて思ったのは、これは遠い世界の話ではない、ということでした。
誰かを励ますとき。
誰かに助言するとき。
誰かの苦しみに触れたとき。
誰かの問題を、少し分かった気になったとき。
私たちは、タコピーにかなり近づくことがあります。
相手の痛みを理解しないまま、
自分の知っている明るい言葉を差し出す。
相手の現実を見ないまま、
自分にとって都合のよい解決を勧める。
相手の沈黙に耐えられず、
早く「よかった話」にしたくなる。
それは、誰にでも起きうることだと思います。
だからこそ、『タコピーの原罪』は読む価値がある。
単に暗い話だからではありません。
単に衝撃的な展開があるからでもありません。
かわいいキャラクターが悲惨な世界に投げ込まれる、その落差だけが魅力なのでもありません。
この作品は、善意というものを、かなり厳しく問い直してきます。
人を救うとは、どういうことなのか。
対話とは、何をすることなのか。
相手を理解するとは、どこまで自分の無知を引き受けることなのか。
「ハッピー」という言葉は、どこまで人間の現実に耐えられるのか。
そういう問いを、かなり鋭く投げてきます。
だから、軽い気持ちでおすすめする作品ではありません。
読めば、しんどいと思います。
途中で苦しくなる人もいると思います。
読むタイミングを選ぶ作品でもあります。
それでも、私は一度読んでほしいと思っています。
この作品は、「かわいそうな子どもたちの話」だけではありません。
「救えなかった宇宙人の話」だけでもありません。
「善意が失敗した話」だけでもありません。
善意だけで構成された存在が、人間の不幸を知ってしまう話です。
そして、知ってしまったあとに、どうするのかを問われる話です。
ここから先は、作品を読んだ人と話したい領域になります。
なぜ、タコピーの善意は人を救えなかったのか。
なぜ、「おはなし」は最初、対話にならなかったのか。
なぜ、最後に残ったものは、魔法の道具ではなかったのか。
あの結末を、救済と呼んでよいのか。
それとも、「これしかなかった」と受け取るべきなのか。
後編では、核心に触れます。
未読の方は、できれば一度読んでから戻ってきてください。
この作品は、あらすじで知るより、読んで苦しくなった方がよい作品だと思います。
苦しさ込みで、読む意味がある作品です。
このブログ「Kazc’s Laboratory」では、身のまわりの出来事を、経営学・ゲーム理論・法律といった道具で観察しています。所長はクリーム色のチワワです。
こうした見方の“元ネタ”になったのが、私が実際に経験した裁判です。その全記録――本物の準備書面や答弁書つき――は、note『裁判闘争記』にまとめています(一部有料)。原理はこのブログで、実戦はあちらで。

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