「何に乗っても速い」という残酷な褒め言葉 前編——エディ・ローソン、YZR500からNSR500へ

「何に乗っても速い」

レーシングライダーにとって、これ以上の褒め言葉はあまりないと思います。

速いバイクに乗れば速い。強いチームにいれば勝てる。それだけなら、まだ説明がつきます。

ところが、メーカーが変わっても速い。バイクの性格が変わっても速い。開発思想の違うマシンへ乗り換え、自分の走り方を組み直し、それでも結果を出す。

そういうライダーを見ると、こちらは黙るしかありません。

「ああ、本当に速いのは、この人なんだな」

と思わされます。

ただし、この言葉は、最高の褒め言葉であると同時に、かなり残酷な言葉でもあります。

「何に乗っても速い」と言われた瞬間、そのライダーは道具のせいにできなくなるからです。

バイクが変わっても勝てるはず。メーカーが変わっても適応できるはず。少しくらい扱いにくくても、あなたなら何とかするはず。

ファンは勝手です。

私も含めて、かなり勝手です。

「この人なら何とかする」と期待し、何とかならなかったときには、勝手にがっかりする。

けれど、実際のレースはそんなに単純ではありません。

速い人間はいます。異なるマシンへ適応できる人間もいます。

しかし、どんなバイクでも一人で勝たせられる人間はいません。

この言葉の重さを考えるとき、私がまず思い出すのはエディ・ローソンです。

目次

Fast FreddieとSteady Eddie

1980年代の世界GPには、分かりやすい対比がありました。

フレディ・スペンサーとエディ・ローソンです。

スペンサーは、いかにも「見える速さ」の人でした。

Fast Freddie。

その異名のとおり、爆発的に速い。一瞬で空気を変える。マシンの上で、何か普通ではないことをしているように見える。

1985年には、250ccと500ccの両方で世界タイトルを獲りました。今の感覚で考えても、かなり無茶なことをしています。

一方のローソンは、少し違いました。

Steady Eddie。

このあだ名が、実にいいのです。

派手な天才というより、崩れない人。無理に見えることをしない。けれど、気がつけば前にいる。シーズンが終わる頃には、きちんと必要な場所にいる。

前回のF1記事で言えば、セナよりプロストに近い匂いがあります。もっと言えば、ラウダ的な冷静さもある。

速さそのものよりも、速さを結果へ変える力。一発の輝きよりも、シーズン全体を失わない力。

私は、こういうタイプに弱いのです。

スペンサーの異常な速さも、もちろん魅力的です。あれを見てしまうと、理屈を言うのが少しばかばかしくなります。

しかし、ローソンのように、読み、合わせ、崩れず、最後に勝つ人には、また別の格好よさがあります。

速さは見えます。

賢さは、少し遅れて見えてくる。

ローソンは、YZR500の人でした

ローソンは1983年、ヤマハから500ccクラスへ本格参戦しました。

当時のチームメイトは、すでに三度の世界王者となっていたケニー・ロバーツです。

ロバーツが引退した翌1984年、ローソンは初めて世界チャンピオンになります。その後も1986年、1988年と、YZR500でタイトルを獲りました。

1988年には年間7勝を挙げ、三度目の王座に就いています。

ローソンは、たまたま強いヤマハへ乗っただけではありません。

ロバーツの時代から受け継がれたYZR500を、毎年の改良と実戦の中で自分のバイクにしていった人です。

どこまでブレーキを残せるのか。どこからアクセルを開けられるのか。タイヤがどう減り、車体がどんな動きをするのか。

それを何年もかけて身体へ入れていった。

自分がバイクを知り、バイクも自分を知っている。

少し大げさに言えば、YZR500はローソンの母語でした。

王者が、王者になったバイクを離れる

1988年、ローソンはYZR500で世界チャンピオンになりました。

その直後、ホンダへ移ります。

いま振り返っても、かなり思い切った移籍です。

勝てなくなったから、居場所を変えたのではありません。自分を三度チャンピオンにしたメーカーを、王者のまま離れたのです。

何年もかけて理解したバイクを手放し、最大のライバルだったホンダへ行く。

それは単なるチーム移籍ではありません。

自分が積み上げてきた正解が、次の場所でも通用するとは限らない。むしろ、前のバイクで身につけた感覚が、新しいバイクでは邪魔になることすらあります。

速いライダーが、別の速いバイクへ乗れば、そのまま速い。

そんな簡単な話ではありません。

ローソンは、自分からそれを試される場所へ移りました。

NSR500は、本当に難物だったのか

当時のNSR500には、凶暴で扱いにくいマシンという印象があります。

強力な2ストロークV4エンジン。唐突に立ち上がるパワー。十分な手応えを返さない車体。

ワイン・ガードナーや、当時500ccクラスへ上がったばかりのミック・ドゥーハンは、その扱いにくさを厳しく語っています。

ところが、後年のローソンの証言は少し違います。

2018年のインタビューで、ローソンは1989年型NSR500について、悪いところはなかった、良いバイクだった、それほど乗りにくくもなかったという趣旨で答えています。ガードナーやドゥーハンは、少し悪く言いすぎたのではないか、とも話しています。

では、NSR500難物説は大げさだったのでしょうか。

おそらく、問いの立て方が少し粗いのです。

「NSR500は難しかったのか」

ではなく、

「誰が、どのNSR500に乗ったのか」

と考えた方がいい。

ここから少し、話が細かくなります。回り道に見えるかもしれません。しかし、この細部こそが、「何に乗っても速い」という一言が、最初に消してしまうものの正体です。

NSR500は一台ではなかった

1989年、ローソンとガードナー、ドゥーハンは、いずれもロスマンズカラーのNSR500を走らせていました。

しかし、所属は同じではありません。

ガードナーとドゥーハンがHRCのワークスチームに所属していたのに対し、ローソンはアーブ・カネモトが率いるロスマンズ・カネモト・ホンダから参戦していました。

外見は似ていても、開発と運用の系統は別です。

そして、ローソンのNSRは一年を通じて同じ姿をしていたわけではありません。

カネモトの記憶では、15戦のシーズン中に少なくとも7種類のシャシーを使用した。ドゥーハンは、ローソン用には11種類、自分には4種類だったと振り返っています。

正確な数には記憶の差があります。

それでも、同じ車名のまま、車体が繰り返し作り直されていたことは間違いありません。

ローソンが「悪いバイクではなかった」と語ったからといって、ガードナーやドゥーハンの苦言が間違いになるわけではない。

彼らが乗っていたものは、同じ名前のNSR500であっても、同じバイクではなかった。

さらに言えば、シーズン序盤のローソンが乗っていたNSRと、終盤のNSRさえ同じではなかったのです。

「曲がらない」という言葉を、そのまま受け取らない

ローソンとカネモトの間には、象徴的なやり取りがあります。

ある局面で、ローソンはNSRを「曲がらない」と訴えていました。

ところがカネモトがコーナーまで出向き、外から走りを観察すると、その場面では、ローソンの言葉とは少し違う現象が起きているように見えました。

カネモトはHRCのエンジニアに、バイクが向きを変える反応が速すぎると伝えます。

かなり極端な変更になるため、まずは想定した幅の半分だけ、操舵の反応を穏やかにする方向へ振った。

翌朝のウォームアップを終えたローソンは、ピットレーンへ戻ると、初めて普通のバイクらしく感じるという趣旨を伝えました。

ローソンの「曲がらない」という感覚を、その言葉どおりに処理したのではありません。

走りを観察し、その場面で車体に起きている現象へ置き換え、設計変更として返した。

ここには、明らかに翻訳の往復があります。

ただし、この一度の変更で、NSRが完成したわけではありません。

ヘレスの勝利は、完成の証明ではなかった

スペインGPのヘレスには、補強を加えた新しいフレームや、より硬いフロントフォークが投入されました。

そしてローソンは、このレースでホンダ移籍後初勝利を挙げます。

ただし、その勝ち方まで見ておく必要があります。

レース終盤、ケビン・シュワンツは約6秒のリードを築いていました。しかし残り数周で転倒し、ローソンが首位へ上がった。

新しい車体によってローソンがすべてを解決し、最速のライダーとして勝ったレースではありません。

目の前から勝者が消え、そこにいたローソンが勝利を持ち帰ったレースでもありました。

もちろん、最後まで走っていなければ、転がり込んだ勝利さえ拾えません。

ただ、この勝利を「翻訳が完成した瞬間」と読むのは、少し都合がよすぎます。

その後もレイニーに先着される展開が続き、ローソンが次に勝つまでには、さらに六戦を要しました。

NSRは、一つの変更でローソンのバイクになったのではありません。

最後まで、探索は続きます。

翻訳は、最後まで完成しなかった

ローソンはNSRの言葉を読み、カネモトと技術陣はローソンの言葉を受け取りました。

フレームを補強する。

スイングアームを変える。

フォークを変える。

車体の反応を変える。

その結果をローソンが再び走って確かめる。

翻訳の往復は、確かに機能していました。

しかし、機能したことと、完成したことは同じではありません。

ローソンが望んだバイクは、シーズンの早い段階で出来上がったわけではない。

シャシーの探索は一年を通じて続きました。

完成された一台を手に入れてから、ローソンが勝ち始めたのではありません。

出来上がらないバイクと付き合いながら、ローソンはシーズンを走り続けました。

そして1989年、全15戦のうち表彰台を外したのは、わずか二回です。

4勝。

13回の表彰台。

圧倒的な勝利数ではありません。

しかし、ほとんど毎戦、2位か3位までには戻ってきた。

Steady Eddieは、翻訳が終わるのを待たなかった

ここで、最初の話へ戻ります。

Steady Eddie。

ローソンは、バイクが完成するのを待ってから勝ったのではありません。

違和感の残るバイクに乗り、次の変更を待ちながら、その間にもポイントを持ち帰った。

改良が当たった日は勝つ。

先行していたライダーが転倒すれば、その勝利を拾う。

勝てない日にも、2位か3位で終える。

バイクを直す。

しかし、直るまで選手権を止めない。

1989年のローソンがやったのは、そういうことでした。

ラウダがプロストより速く走り続けて王者になったのではなく、シーズンの収支で勝ったように、ローソンもNSRを完璧なバイクへ仕上げてから王者になったのではありません。

完璧にならないバイクで、年間をまとめ切った。

速さは見えます。

賢さは、少し遅れて見えてくる。

ローソンの1989年は、その言葉がいちばんよく似合うシーズンだったのかもしれません。

同じ年、通訳は反対側にいた

1989年には、もう一つ印象的な出来事がありました。

フレディ・スペンサーがヤマハから世界GPへ復帰したのです。

スペンサーが入ったのは、前年までローソンが在籍していたマールボロ・ヤマハでした。

ローソンが三度目の王座を獲得したチームで、そのYZR500に乗る。

しかもスペンサーは、かつて500ccで二度の世界王者となった男です。

一方のローソンは、三度王者になったバイクとチームを離れ、扱いにくいと評されていたNSRへ乗り換えた。

移籍前の条件だけを見れば、ローソンの方が大きな賭けに出たように見えます。

しかしスペンサーは、この年、一度も表彰台に立てないまま、シーズン途中でチームを去りました。

この二人の間には、もう一つ大きな違いがありました。

アーブ・カネモトです。

スペンサーが獲得した三つの世界タイトルは、いずれもホンダで、カネモトがヘッドメカニックとして支えたものでした。

ところが1989年、そのカネモトはローソンの側にいた。

スペンサーは、前年王者の席とYZR500を得ました。

しかし、自分の言葉を長く知っていた技術者は、ローソンとともにホンダ側へ移っていたのです。

もちろん、これだけで二人の結果を説明することはできません。

当時のスペンサーは故障からの復帰途上にあり、重要なテストも欠いていました。チームが早期の結果を求めた一方で、本人は二年計画を考えていたともいわれます。

それでも、1989年の二人を隔てていたものの一つは、バイクの名前ではなく、通訳の所在だった。

前年王者の席へ座っても、前年王者の速さまでは引き継げない。

逆に、知らないバイクへ移っても、言葉を受け取り、車体へ返す人がいれば、会話を始めることはできる。

速さは、席や車名だけについているものではありません。

ローソンが持ち運んだもの

では、ローソンはヤマハからホンダへ、何を持っていったのでしょうか。

YZR500の乗り方そのものではなかったはずです。

バイクのどこを見るのか。

違和感をどう伝えるのか。

技術者から返ってきた変更を、どう走りで確かめるのか。

何を変え、何は受け入れるのか。

そして、答えが出ない期間にも、どこまで踏み込み、何を持ち帰るのか。

ローソンが持ち運んだのは、特定のバイクを速く走らせるための正解ではありません。

翻訳が終わらないままでも、バイクと対話を続け、同時に選手権を進める能力だったのではないでしょうか。

1989年、ローソンは移籍初年度のホンダで世界チャンピオンになりました。

前年はヤマハ。その翌年はホンダ。

最高峰クラスで、異なるメーカーにまたがって二年連続で王座を獲得した最初のライダーです。

この記録がすごいのは、史上最悪の難物を一人で屈服させたからではありません。

NSRを完全に自分のバイクへ仕上げたからでもない。

望んだバイクを最後まで手に入れられなくても、ほとんど毎戦、必要な結果を持ち帰った。

そこにあります。

「何に乗っても速い」という残酷な褒め言葉

ローソンは、YZR500で勝ちました。

そしてNSR500でも勝ちました。

後には、長く優勝から遠ざかっていたカジバにも勝利をもたらします。

何に乗っても速い。

ローソンについて、この言葉が単なる印象ではなくなるのは、すべてのバイクを同じ方法で乗りこなしたからではありません。

バイクが完成していなくても、開発が続いていても、自分の感覚を技術陣へ渡し、返ってきた答えを走りへ変え、その間にも結果を失わなかったからです。

ただし、ここで一つの誤解が生まれます。

ローソンにできた。

ならば、本当に優れたライダーなら、どんなバイクでも同じことができるのではないか。

後にバレンティーノ・ロッシがホンダからヤマハへ移り、最初のレースから勝ったとき、その期待はさらに強くなりました。

ロッシもまた、自分の速さを別のメーカーへ持ち運んだ。

だから、ドゥカティへ移ると決まったとき、多くの人が思いました。

「ロッシなら、また何とかするのではないか」

それは、根拠のない期待ではありませんでした。

ローソンができた。

ロッシ自身も、一度できた。

だから、次もできると思った。

けれど、ローソンの1989年を詳しく見ると、成功はそれほどきれいなものではありません。

翻訳は最後まで続いた。

バイクは完成しなかった。

勝利の一つは、先行するライダーの転倒によって巡ってきた。

それでもローソンは、13回表彰台に立ち、世界王者になった。

「何に乗っても速い」という言葉は、こうした途中経過を消してしまいます。

技術者を消す。

試行錯誤を消す。

拾った2位や3位を消す。

そして最後に、別のメーカーでも勝ったという結果だけを、一人の才能として残します。

その結果、次に勝てなかったときには、今度は責任まで一人へ返してしまう。

「何に乗っても速い」

この褒め言葉が残酷なのは、成功をきれいな英雄譚へ変えてしまうからなのかもしれません。

この話は、後編に続きます。


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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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