騙されたのは、家系図だけではなかった――秋吉理香子『聖母』

※以下、『聖母』の重大なネタバレを含みます。

秋吉理香子の『聖母』を読みました。

僕はこの手の叙述トリックに、かなり弱いです。

今回も途中から、どうにも匂いはしていました。

真琴という名前。

薫という名前。

妙に早い犯人特定。

「これは何かあるぞ」と、かなり警戒して読んでいたつもりです。

それでも、また騙されました。

そこは素直に認めます。

ただ、今回は「やられた」で気持ちよく終われませんでした。

読み終わってから、少し嫌な感じが残ったのです。

目次

おばあちゃんだったのか

いちばん見事だったのは、保奈美と薫の関係です。

僕は完全に、

保奈美=母
薫=娘

だと思って読んでいました。

ところが実際には、

保奈美=祖母
真琴=母
薫=孫

だった。

ここはきれいにやられました。

保奈美が薫を心配する。

守ろうとする。

一緒に暮らしている。

保奈美の視点で読めば、こちらは自然に「母親なのだろう」と補います。

でも、考えてみれば、

保奈美が薫の母親だとは、決定的には書いていない。

作者が嘘をついたわけではありません。

読者が勝手に家系図を完成させています。

だから真相が出た瞬間、

「ああ、そういうことね」

となる。

これは気持ちいい。

叙述トリックの醍醐味です。

真琴という名前には、かなり警戒していた

真琴という名前にも途中で引っかかりました。

僕は小学生の頃から剣道をしていて、高校でも剣道部でした。

一学年下の女子の後輩に「真琴」という名前の子がいたのです。

だから、

この名前、女性でも全然あるよな

と比較的早く警戒できた。

これは単なる偶然です。

でも、今回の作品を考えるうえでは妙に面白い。

読者は、一般常識だけで文章を読んでいるわけではありません。

自分の記憶や経験まで使って、書かれていない部分を勝手に埋めています。

僕は「真琴という女子を実際に知っていた」から、そこには引っかかった。

それでも、本丸は外しました。

作家が相手にしているのは、単なる「平均的な読者」ではないのでしょう。

一人ひとりの頭の中にある索引です。

名前の印象も、昔の知人も、読んできた本も、全部そこに入っています。

それでも人は、勝手に補います。

そして今回、僕が勝手に補ったのは、家系図だけではなかったのかもしれません。

「母なら、そうするだろう」と僕も読んでいた

保奈美は薫を心配します。

守ろうとします。

不安になります。

そして僕は、それをかなり自然に受け入れていました。

なぜなら、

母親だと思っていたからです。

母なら心配するだろう。

母なら守ろうとするだろう。

母なら多少過剰でも、おかしくはない。

こちらが勝手に、そういう意味まで補っていました。

つまり、この作品で僕が誤認したのは、

「誰が誰の母なのか」だけではありません。

「母である」というだけで、その感情や行動にかなりの正当性を先払いしていた。

ここまで来ると、単なる家系図のトリックではなくなります。

人物の頭まで、都合よく動かしていないか

そこで読み返すと、保奈美の心理描写がかなり気になります。

幼児殺害遺棄事件が起きたとき、保奈美は事件に心を痛めます。

近所で起きたことに不安を感じる。

子どもたちを心配する。

犯人に義憤を抱く。

普通に読めば、

「犯人が誰か分からない一般市民の内面」

です。

ところが真相では、保奈美は真琴の犯行を知っていた。

もちろん、否認という可能性はあります。

娘が殺人を犯したという事実を直視できず、考えないようにする。

それ自体は十分あり得るでしょう。

でも、もし否認なら、どこかに軋みが出てもよさそうです。

思考が途切れる。

ある話題だけ避ける。

妙な自己説得が入る。

「知っているのに、知らないことにしようとしている」痕跡です。

ところが、僕にはその軋みがほとんど見えませんでした。

保奈美の内面そのものが、きれいに「事件の外側にいる人」の形へ整えられている。

ここで初めて、

読者を誤解させるために、人物の内面まで都合よく使っているのではないか

という違和感が出てきました。

僕も、その驚きを消費した側です

ただ、ここで「作者はずるい」と外から批判して終わると、話がきれいすぎます。

僕自身、ちゃんとその仕掛けを楽しんでいるからです。

「おばあちゃんだったのか」

「真琴は女性だったのか」

「そういう家系図だったのか」

と驚いた。

その瞬間は、かなり気持ちよかった。

つまり僕も、

この作品が用意した驚きを、娯楽としてきちんと消費した読者

です。

ここを先に認めておかないと、この先の話はたぶんフェアではありません。

僕は楽しんだ。

では、何を使って楽しんだのか。

そこが、あとから気になりました。

重いものが、どんでん返しの燃料になっていないか

真琴は中学生で妊娠し、薫を出産しています。

その背景には、単なる「若い男女の交際」で済ませられない重さがあります。

少なくとも、未成年者への性暴力として読むべき出来事でしょう。

そして、その結果としての妊娠と出産です。

これは設定として非常に重い。

もちろん、『聖母』という題名なのだから、母であることは主題です。

真琴の出産にも、単なる仕掛け以上の意味はあるのでしょう。

ただ、本当にそこが中心主題として掘り下げられているなら、

真琴自身が、その経験をどう受け止めたのか。
その後、母としてどう生きたのか。
保奈美との母娘関係が、どう変わったのか。

そういう痕跡が、もう少し物語の前景に出ていてもよさそうです。

でも、僕にはあまり見えませんでした。

むしろ最後に強く効いてくるのは、

保奈美=祖母
真琴=母
薫=孫

という反転です。

そこで少し嫌な感じがしました。

性暴力も、妊娠も、出産も、母の否認も、幼児殺害も、どんでん返しを成立させるための燃料として燃やされてはいないか。

騙されたのは、倫理判断までだった

叙述トリックというと、つい、

誰が誰なのか。

男か女か。

時系列はどうなっているのか。

そういう情報の誤認ばかり考えます。

でも『聖母』でいちばん巧妙だったのは、そこではなかったのかもしれません。

僕は、

「母なら、ここまで心配しても自然だ」

「母なら、ここまで守ろうとしてもおかしくない」

と、感情の意味まで勝手に補っていました。

作者がずらしたのは家系図だけではない。

こちらの倫理判断まで、少し先回りしてずらした。

そして、それが分かったあとに読み返すと、今度は逆に気になります。

母だから。

娘を守るためだから。

愛しているから。

それは行動の理由にはなります。

でも、

理由と正しさは同じではありません。

「守るためだった」は、説明にはなる。

でも、免罪にはならない。

ここを読者は、意外と簡単に混同します。

僕も、その一人でした。

それでも、また騙されたい

それにしても、叙述トリックを書く作家は大変です。

読者は一作ごとに学習します。

中性的な名前を疑う。

時系列を疑う。

主語を疑う。

家族関係を疑う。

今回の僕など、真琴という名前を見ただけで、剣道部時代の後輩まで引っ張り出してきました。

もう普通の読書ではありません。

鑑識です。

それでも騙されました。

今回も、作家の勝ちです。

ただ、読み終わったあとに残ったのは、

「うまく騙された」

だけではありませんでした。

何を使って騙されたのか。

そして、

その驚きを、自分はどれだけ気持ちよく消費したのか。

そこまで考えると、少し居心地が悪い。

でも、たぶんまた同じ棚から本を取るのでしょう。

騙されたくない。

でも、騙されたい。

叙述トリックの読者というのは、ずいぶん面倒な客です。


このブログ「Kazc’s Laboratory」では、身のまわりの出来事を、経営学・ゲーム理論・法律といった道具で観察しています。所長はクリーム色のチワワです。

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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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