『ショーシャンクの空に』は、「I hope.」の先に何を見せたのか――ブルックスとレッド、二つの「ここにいた」

『ショーシャンクの空に』の終盤、レッドはバスに乗って旅立ちます。

車中のナレーションです。

I hope Andy is down there.
I hope I can make it across the border.
I hope to see my friend and shake his hand.
I hope the Pacific is as blue as it has been in my dreams.
I hope.

映画『ショーシャンクの空に』より

アンディがそこにいるか。国境を越えられるか。友に会って、その手を握れるか。太平洋は、夢で見たように青いか。願いを一つずつ重ね、最後は何を願うのかも言わずに、ただ「I hope.」。

私は、この控えめな言葉がずっと好きでした。あれほど希望を語ってきた映画なのに、最後に残るのは確信でも約束でもない。「I hope.」なのです。

ただ、考え直してみると、見落としていたことがありました。

映画は、そこで終わらないんですよね。

青い海。砂浜。古い船を修理しているアンディ。そして、そこへ歩いていくレッド。

二人は再会します。

レッドの言葉は「I hope.」で終わっても、映画はその希望がかなったところまで見せてくれるのです。

では、映画は結局、「希望を持ち続ければ夢はかなう」と言いたかったのでしょうか。

どうも、そう簡単には思えません。

私には、最後の再会を考えるたびに、どうしても忘れられない人物がいます。

ブルックスです。

目次

ブルックスは、ここにいた

ブルックスは、長い年月をショーシャンク刑務所で過ごした老人です。

仮釈放が認められ、ついに自由になります。

ところが、その自由に耐えられません。

外の世界は変わりすぎています。仕事は覚えられず、知り合いもいない。刑務所では図書係として居場所のあった人間が、外では何の役割も持てなくなってしまいます。

彼は、刑務所の生活に適応していたからこそ、何十年も生きてこられたのでしょう。

その適応が、外に出た途端に彼を苦しめる。

ブルックスは、下宿の梁に言葉を刻みます。

Brooks was here.

そして、自ら命を絶ちます。

この場面を思い出すと、「希望を持つことが大切だ」という言葉が、ひどく軽く感じられます。

ブルックスに必要だったものは、何だったのでしょう。

前向きな気持ちでしょうか。新しい目標でしょうか。それとも、外の世界で彼を待っている誰かだったのでしょうか。

私には分かりません。

ただ、長年刑務所にいた老人に「もっと希望を持て」と言うのは、あまりにも酷な気がします。

自由になれば人間が救われるわけではない。

ブルックスの死は、それを容赦なく突きつけます。

そして、同じことがレッドにも起きます。

So was Red.

仮釈放されたレッドが暮らすことになったのは、ブルックスと同じ部屋でした。

仕事も同じ。外の世界になじめず、刑務所へ戻ることまで考え始めます。

自由が怖いのです。

かつて「希望は危険だ」と言っていた男です。

ところが、レッドにはアンディとの約束がありました。

以前聞かされた場所へ行き、石垣のそばで箱を探す。そこには、本当に手紙と金が残されていました。

アンディは生きている。

しかも、レッドが訪ねてくることを待っている。

レッドは旅立つ決心をします。

その前に、下宿の部屋で椅子に上がります。

ブルックスの最期を知っている観客には、ちょっと怖い場面です。

しかし、レッドは梁に自分の名前を刻んで部屋を出ます。

So was Red.

これが、実にいい。

「レッドも、ここにいた」。

英語では、二つの言葉を並べると、さらに響いてきます。

Brooks was here.

So was Red.

ブルックスの言葉を受けて、レッドも同じ過去形で、自分がそこにいたことを記す。

でも、ブルックスにとっては人生の終着点になった部屋が、レッドにとっては旅立つ場所になります。

同じ部屋に暮らした二人が、違う方向へ向かうのです。

しかも、レッドはブルックスの文字を消しません。

その隣に、自分の言葉を刻みます。

そこには、先に逝った友人への思いもあるように感じます。

レッドも、ここにいた。

でも、もう行くんです。

希望だけでは、壁に穴は開かない

一方、アンディはどうでしょう。

彼は刑務所の中で希望を失わず、長年かけて脱獄を成功させます。

こう書けば、いかにも「諦めなければ夢はかなう」という物語になりそうです。

しかし、アンディがやっていたことを思い出してみます。

彼は銀行員でした。

金融や会計の知識があり、所長の不正会計の仕組みも理解していました。架空人物ランドール・スティーブンスを使いこなす実務能力もありました。

脱獄の準備も、途方もないほど地道です。

小さなロックハンマーで壁を掘り、土を少しずつ捨て、穴をポスターで隠し続けます。

壁は、自分で掘ったのです。

しかも、自由になるまでの道のりは、決して清潔ではありません。

所長の不正に利用され、その仕組みに深く関わり、最後にはそれを逆手に取ります。

脱獄の最後に通るのも、汚水の流れる下水管です。

清らかな心で希望を信じ続けたら、ある日突然、神様が扉を開いてくれた。

そんな話ではありません。

ただ、私がもっと気になるのは、アンディが自分のためだけに行動していたわけではないことです。

屋根の上で仲間にビールを飲ませた場面を思い出します。

あのとき彼らは、一瞬だけ囚人ではなくなりました。

仕事を終え、仲間とビールを楽しむ、どこにでもいる男たちです。

図書館を充実させたことも、モーツァルトを刑務所中に流したことも、同じように思えます。

彼らは一時的に、囚人という身分以外の自分を取り戻している。

それで刑務所が自由な場所になるわけではありません。けれど、アンディは自分以外の誰かにも、何かを残そうとしていたのでしょう。

そして最後には、レッドに手紙を残しました。

金も残しました。行き先も知らせました。

これが大きい。

希望という言葉だけを渡したのではありません。

「ここへ来い。俺が待っている」という、具体的な約束を残したのです。

ブルックスにはなかったものが、レッドにはありました。

二人の運命の違いを、希望を持てたかどうかという精神論だけで説明したくないのは、このためです。

仮釈放違反という、妙な救済

ここで、レッドの旅立ちをもう一度考えてみます。

彼は仮釈放中です。

刑務所から出たとはいえ、好き勝手に行動できる身分ではありません。

ところが、彼は国境を越え、アンディのいるメキシコへ向かおうとします。

本人も、仮釈放違反になることを承知しています。

考えてみると、ずいぶん妙な話です。

レッドは最初、刑務所に戻るために仮釈放違反を考えていました。

それが最後には、刑務所からもっと遠くへ行くために仮釈放違反を犯すのです。

同じ違反なのに、向かう方向が正反対です。

この選択を、法律上正しい行動だったと言うつもりはありません。

しかし、あれほど外の世界を恐れていたレッドが、初めて自分の意思で行き先を決める。

その姿には、何とも言えないものがあります。

ここで思い出すのが、原題です。

The Shawshank Redemption.

Redemptionには、贖罪や救済、解放といった意味があります。

アンディは冤罪で投獄された男です。妻殺しについて、贖うべき罪はありません。

一方、レッドは実際に罪を犯しています。

彼は仮釈放審査のたびに、更生したかどうかを問われます。

最後の審査で、レッドはそれまでの模範的な答えをやめます。

過去の自分を悔やんでいる。できるなら、若かった自分に会って、愚かなことをするなと言ってやりたい。

でも、それはできない。

過去は取り返せないのです。

その言葉を語った審査で、初めて仮釈放が認められます。

制度から更生を認定されたレッドが、外へ出る。

しかし、その認定だけでは彼は救われませんでした。

ブルックスと同じ部屋で、同じように追い詰められます。

そして、アンディに会うために仮釈放の条件を破る。

これをRedemptionと呼んでよいのか、私には分かりません。

ただ、少なくとも、刑務所の外へ出たことと、自分の人生を取り戻したことは、同じではなかったのでしょう。

「I hope.」のあとに、映画が見せたもの

原作の中編小説『刑務所のリタ・ヘイワース』は、レッドの「I hope.」で終わります。

再会は描かれません。

レッドは、アンディに会えることを願いながら、旅立とうとします。

その先は読者に委ねられています。

一方、映画は二人を再会させます。

原作よりも、ずっと明るい結末です。

この変更を、安易なハッピーエンドと考えることもできるでしょう。

しかし、私はそう切り捨てる気にはなれません。

だって、会ってほしいじゃないですか。

あれだけ長い年月を刑務所で過ごし、ようやく外へ出たレッドです。

そのレッドが、仮釈放の条件を破ってまで会いに行こうとした友人です。

青い海を前に、二人が再会する。

そりゃあ、うれしいですよ。

ただ、映画が見せてくれたのは、レッドの希望が実現したという一つの結末です。

ブルックスは戻ってきません。

アンディのような友人が、誰にでもいるわけでもありません。

あの映画の最後を「希望を持ち続ければ、いつか夢はかなう」という人生訓にまとめてしまうと、ブルックスが置き去りになってしまいます。

それは、どうしても嫌なのです。

レッドは、希望について確信を持ったわけではなかったと思います。

かつて希望を危険だと考えていた彼が、最後に口にした言葉。

I hope.

国境を越えられるかどうかも、友人と再会できるかどうかも、彼には分からない。

それでも旅立つ。

映画は、その願いをかなえてくれました。

私は、あの再会の場面が大好きです。

でも、今はその少し前の、下宿を出ていくレッドの姿にも胸を打たれます。

そして、あの梁に残された二つの言葉。

Brooks was here.

So was Red.

同じ場所にいた二人の、その先は違いました。

なぜ違ったのか。

希望があったから、という一言では、どうしても片づけられません。

それでも、レッドがあの部屋を出て、バスに乗ってくれてよかった。

本当に、よかったと思います。

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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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