資産運用系のYouTubeを見ていると、かなりの確率で出てくる言葉があります。
「複利の力」です。
長期投資が大切なのは、複利が効くからです。
複利は雪だるま式に資産を増やします。
アインシュタインも、「複利は人類最大の発明だ」と言ったそうです。
だから、若いうちから投資を始めましょう。
だいたい、こんな話です。
私は昔から、これがどうにも腑に落ちませんでした。
いや、長期投資を否定したいわけではありません。
低コストの商品を選ぶ。
広く分散する。
短期の値動きに振り回されず、長く持つ。
このあたりは、私もおおむね賛成です。
引っかかるのは、結論ではありません。
そこへ行く途中の説明です。
少し、雑すぎませんか。
複利とは、もともと何だったのか
複利そのものは、難しい話ではありません。
100万円を年利5%で預ける。
1年後には105万円になる。
その105万円をそのまま預けておけば、翌年の5%は100万円ではなく、105万円に対してつく。
だから2年後は110万2500円になる。
利息にも利息がつく。
これが複利です。
実に分かりやすい。
ここには「年利5%」という利率があります。
ところが、株式投資になると話が変わります。
100万円を投資したからといって、誰かが毎年、
「今年も7%つけておきました」
と入金してくれるわけではありません。
20%上がる年もある。
15%下がる年もある。
ほとんど動かない年もある。
元本そのものが保証されていません。
預金の複利と株式の値動きを、同じ「複利」という一語で説明すると、この違いが見えにくくなります。
100万円が200万円になった。それを年率に直しただけ
たとえば、100万円をある株式インデックスに投資したとします。
追加投資はしなかった。
10年後、200万円になっていた。
このとき、
100万円×(1+r)の10乗=200万円
となるようなrを計算することができます。
約7.2%です。
そこで、
「この10年間の年平均成長率は約7.2%でした」
と表現する。
これは何もおかしくありません。
CAGR、年平均成長率という考え方です。
ただし、ここで一つ忘れてはいけないことがあります。
毎年7.2%ずつ増えたわけではありません。
実際には、
ある年は大きく上がった。
翌年は下がった。
また上がった。
暴落もあった。
そこから回復した。
そういう凸凹した10年間の結果として、100万円が200万円になった。
そのスタートとゴールを見て、
「毎年一定率で増えたことに置き換えると、約7.2%になりますね」
と表現しているのです。
つまり、
「毎年7.2%の利息がついて複利で増えた」
のと、
「結果を複利計算で表現すると年率7.2%に相当した」
のは、同じではありません。
ここを雑にすると、
「株式には年7%くらいの利息がついて、それが複利で増えていく」
と受け取ってしまっても無理はありません。
そんな利息はありません。
雪だるまは、逆向きにも転がる
しかも、現実の値動きは「複利」にとって、いつも味方ではありません。
100万円が50%上がったとします。
150万円です。
翌年、50%下がったとします。
75万円です。
+50%と−50%。
単純に平均する、つまり算術平均では0%です。
ところが資産は100万円には戻りません。
75万円。
25%減っています。
50%下がったものが元に戻るには、50%上がればよいのではありません。
100%上がる必要があります。
投資収益は、足し算ではなく掛け算でつながるからです。
利益も掛け算。
損失も掛け算。
だから、算術平均リターンと、実際の資産成長を表す幾何平均リターンは同じにはなりません。
そして、同じ算術平均リターンを前提にするなら、値動きが大きいほど幾何平均リターンは確実に低くなります。
いわゆるボラティリティ・ドラッグです。
ここは、きれいな右肩上がりの「複利グラフ」を眺めていると見落としやすいところです。
「複利は雪だるま式に資産を増やします」
という説明は、半分しか語っていません。
雪だるまは、坂を逆向きにも転がります。
複利は、利益だけを増幅してくれる魔法のエンジンではありません。
それでも、株式に「複利的な効果」がないわけではない
では、「株式投資に複利なんてない」と言い切ってよいのか。
そこまで言うと、今度はこちらが雑になります。
配当を受け取って、そのお金でまた株を買えば、再投資した部分も次の収益を生みます。
投資信託の中で配当などが再投資される場合も同じです。
また、前年までに増えた資産全体に対して次の年の値動きが乗るので、投資収益は掛け算でつながっていきます。
この意味では、株式投資にも「複利的な効果」はあります。
ただ、私が気になるのは順番です。
複利がリターンを生むのではありません。
まずリターンがある。
それを再投資し、持ち続ける。
その結果として、資産の成長が複利的になる。
こちらでしょう。
「複利の力があるから長期投資をしましょう」
と言われると、因果関係が少し逆立ちして見えるのです。
長期投資が有効なのは、もっと身も蓋もない理由ではないか
では、なぜ長期投資なのか。
私は、もっと身も蓋もない話だと思っています。
世界経済や企業利益は、長い目で見ればこれまで成長してきた。
広く分散された株式市場も、大きな暴落を何度も経験しながら、長期では成長してきた。
だから、短期の上げ下げを当てようとせず、その成長に長く居続ける。
それだけです。
もちろん、将来も同じだという保証はありません。
長く持てば必ず儲かるわけでもありません。
それでも過去を振り返れば、
短期では何が起こるか分からないが、広く分散して長く持っていた方が、結果オーライになりやすかった。
長期投資の根拠は、まずこちらではないでしょうか。
複利は、その結果を説明する計算方法の一つです。
魔法のエンジンではありません。
包み紙を開けてみる
では、なぜこんなに話が膨らむのでしょう。
たぶん、理由は単純です。
結論が短すぎるのです。
低コスト。
分散。
長期。
ホールド。
ほとんど四語で終わってしまう。
これでは、毎日語るには少し困ります。
そこで「複利の力」が加わる。
有名な本が加わる。
経済学者が加わる。
最後には偉人の言葉まで加わる。
以前、資産運用YouTubeは「毎日違う包み紙で、同じお菓子を出している」ようなものだと書きました。

今回やっているのは、その包み紙を一枚ずつ開けてみる作業なのかもしれません。
複利も、本も、経済学者も、偉人も、それ自体が悪いわけではありません。
ただ、
短すぎる結論を立派に見せるために使い始めると、説明と装飾の境目が怪しくなる。
ここから先は、その話です。
まず『敗者のゲーム』が出てくる
かなりの確率で登場するのが、チャールズ・エリスの『敗者のゲーム』です。
資産運用界隈では、ほとんど必読書の扱いです。
市場平均に継続して勝つことは難しい。
コストを抑える。
無理に売買しない。
長く市場に居続ける。
大筋では、たいへんまっとうな話です。
私も特に異論はありません。
ただ、ときどき不思議な気分になります。
「エリスを読みました」
「敗者のゲームという考え方がありまして」
「プロでも市場に勝ち続けるのは難しいのです」
「したがって、低コストのインデックスを長期保有しましょう」
なるほど。
それは分かりました。
でも、さっきも同じことを聞いた気がします。
低コスト。
分散。
長期。
余計な売買をしない。
エリスを一冊読んだことで、結論が変わったわけではありません。
結論に、立派な推薦状が一枚ついただけです。
もちろん、本を読むことはよいことです。
問題は、
本を読んだことと、本の名前を出すことは同じではない
ということです。
「敗者のゲームを読めば分かります」
と言われると、こちらも少し身構えます。
何が分かるのでしょう。
市場に勝ち続けることが難しいことなのか。
コストが大切なことなのか。
売買しすぎない方がよいことなのか。
それなら、そう説明すればよい。
本の題名は、説明の代わりにはなりません。
さらに困るのは、こうした定番本が何冊か並び始めたときです。
『敗者のゲーム』。
『ウォール街のランダム・ウォーカー』。
そして少し毛色を変えて、ピケティ。
後ろの本棚が、だんだん完成してきます。
ここまで来ると、
「私は単にS&P500を勧めているのではありません。現代資本主義と市場の性質を踏まえたうえで、ここに到達したのです」
という雰囲気が出てきます。
しかし出口を見ると、
低コスト。
分散。
長期。
ホールド。
やはり、いつもの駅です。
エリス先生が悪いわけではありません。
むしろ困っているのは、エリス先生の方かもしれません。
長年読み継がれた本が、最後には、
「というわけで新NISAではS&P500です」
の推薦状として働かされている。
ずいぶん忙しい。
次に、ピケティまで呼ばれてくる
ここから少し様子が変わります。
エリスの場合、本の内容そのものは、インデックス投資の話とかなり近い。
ところが今度は、トマ・ピケティです。
有名な、
r>g
です。
これは非常に乱暴に言えば、
rは資本から得られる収益率。
gは経済の成長率。
資本収益率が経済成長率を上回る状態が長く続けば、すでに富を持っている側の資産が相対的に大きくなり、富の格差が拡大・固定化しやすくなる。
そういう文脈の議論です。
ここまではいい。
ところが、資産運用の話になると、ときどき不思議な滑り台が始まります。
r>g。
だから資本を持っている人が強い。
だからインフレ対策をしなければならない。
だから投資をしよう。
複利を効かせよう。
インデックスでパッシブ運用をしよう。
S&P500か全世界株式を買おう。
ちょっと待ってください。
ずいぶん遠くまで来ました。
まず、gはインフレ率ではありません。
経済成長率です。
そしてピケティのrは、「S&P500の期待リターン」という意味でもありません。
まして、
r>gだからインデックスファンドを買いましょう
という公式ではありません。
「資本を持つ側が有利になりやすい」という話から、
「では新NISAでオルカンを買いましょう」
までには、かなり長い橋があります。
しかも、その橋は途中で曲がっています。
ピケティが問題にしたのは、富が集中していく構造をどう考え、どう制度的に扱うかという話です。
その議論から出てくるのは、資本や相続をどう課税するかという政策論です。
少なくとも、
「それなら自分も早く資本を買う側に回りましょう」
という個人向け資産運用講座ではありません。
「資本をどう課税するか」を論じた人を、「資本をどう買うか」の推薦人にしている。
ここで橋は、かなり大きく曲がっています。
橋を渡ること自体は構いません。
株式投資を勧めるなら、別の理由を置けばよい。
ただ、途中の橋脚までピケティ先生が建設したことにしてはいけない。
インフレ対策も、また別の話です
インフレ対策として、現預金だけに偏らず、株式などの資産を持つ。
これにも、それなりの理由があります。
物価が上がれば、現金の実質的な購買力は落ちます。
企業は長期的には、価格転嫁や売上・利益の増加を通じて、物価上昇の影響を吸収できる場合もあります。
だから株式が、長期的なインフレ対策の一つになり得る。
ここまでは分かります。
ただし、
r>gだからインフレ対策、
ではありません。
複利だからインフレ対策、
でもありません。
それぞれ別の話です。
一つ一つ説明すれば、それほど難しくない。
なのに全部をつなげると、
「資本主義の構造を理解した結果、インデックス投資にたどり着きました」
という、たいそう立派な話になってしまいます。
私は、そこまで盛らなくてもよいと思うのです。
最後はアインシュタインにまで来てもらう
そして最後に、アインシュタインです。
ここまで来ると、もう一段悪化します。
エリスは、読まれ方が雑。
ピケティは、つなぎ方が雑。
アインシュタインに至っては、本人が本当に言ったのかどうかまで怪しい。
「複利は世界第8の不思議だ」
「複利は人類最大の発明だ」
といった言葉が、よくアインシュタインのものとして紹介されます。
ところが、この種の言葉については、本人の発言だと確認できる確かな出典が見つかっていないようです。
もちろん、誰が言ったにせよ、複利という仕組みが重要であることは変わりません。
ただ、
「アインシュタインも言っています」
をつけた瞬間に、正しい話になるわけでもありません。
むしろ、説明が十分ならアインシュタインは要らないはずです。
エリスもピケティもアインシュタインも、必要なところで使えばよい。
全員を一度に呼ぶ必要はありません。
投資の話なのに、だんだんシンポジウムのようになってきます。
結論が正しいことと、説明が正しいことは別
ここまで書いておいて何ですが、私はインデックス投資に反対しているわけではありません。
むしろ、
低コスト。
広く分散。
余計な売買をしない。
長期で持つ。
という考え方には、かなり賛成です。
だからこそ、もったいないと思うのです。
十分まともな結論なのだから、変に飾らなくていい。
「歴史的には、広く分散された株式を長く持っていた人は報われやすかった。将来の保証はないけれど、短期相場を当て続けるよりは現実的だと思います」
それで十分ではないでしょうか。
ところが、それだけでは話が短すぎる。
だから、
複利。
『敗者のゲーム』。
r>g。
ピケティ。
アインシュタイン。
と、包み紙が一枚ずつ増えていく。
でも、包み紙を全部はがしてみれば、中に入っているものは変わりません。
難しい言葉を使えば、説明が深くなるわけではありません。
有名な本を読めば、結論が高度になるわけでもありません。
偉い人の名前を出せば、論理の飛躍が埋まるわけでもありません。
ときには逆です。
簡単なことを難しく説明し始めたときほど、その説明はいったん疑った方がいい。
長期投資は、たぶんかなりシンプルです。
そして今回も、ずいぶん長い話をした末に同じところへ帰ってきました。
低コスト。
分散。
長期。
ホールド。
やはり稚内でした。
このブログ「Kazc’s Laboratory」では、身のまわりの出来事を、経営学・ゲーム理論・法律といった道具で観察しています。所長はクリーム色のチワワです。
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