“そんな私が好き”を嗅ぎ取ってしまう病——自己肯定記事に脊髄反射する、面倒くさい読者の自己分析

自己肯定の記事を読むと、私はときどき椅子からずり落ちそうになります。

夢を語るな、と言いたいわけではありません。
前向きに生きるな、と言いたいわけでもありません。
「なりたい自分」を持つことを、否定したいわけでもありません。

むしろ、それは本来、大切なことのはずです。

人は、自分の望みを言葉にしないと、どこにも進めません。
やりたいことを口に出すのは大切です。
自分を肯定することも、たぶん大切です。

ところが、ある種の文章を読んでいると、途中で私の中の何かが反応します。

ピコーン。

心の奥に設置された、実に性格の悪いセンサーが鳴るのです。

「あ、これは来るぞ」

そして数行後、案の定、文章の奥の方からふっと匂ってくる。

“そんな私が好き”。

この匂いを嗅いだ瞬間、私の中の面倒くさい検査官が、静かに赤ペンを持ち上げます。

困ったものです。

目次

自己肯定が嫌いなわけではない

何度も言いますが、自己肯定そのものが嫌いなわけではありません。

「私はこうなりたい」
「私はこれをやってみたい」
「私はこういう人生を送りたい」

そう言えることは、きっと健全です。

特に、他人に合わせすぎる人、ずっと我慢してきた人、自分の望みを後回しにしてきた人にとっては、「私はこうしたい」と口に出すだけでも大きな一歩でしょう。

そこに水を差したいわけではありません。

私が引っかかるのは、その自己肯定が、いつの間にか方法論の顔をし始める瞬間です。

「私はなりたいと言い続けました」
「私はやりたいと言い続けました」
「そしたら叶ってきました」
「だから、あなたも」

この最後の「だから、あなたも」のあたりで、私の中の検査官が席を立ちます。

「異議あり」

お前は裁判官でも弁護士でもないだろう、という話ですが、心の中では勝手に小法廷が開廷しています。

自己肯定まではいい。
願望を言葉にするのもいい。
自分の人生を肯定的に振り返るのもいい。

ただ、それを「高確率で叶える方法」として差し出すなら、もう少し分解してほしいのです。

何を言葉にしたのか。
どう行動に落としたのか。
何を捨てたのか。
誰に助けられたのか。
運はどこにあったのか。
再現できる部分と、本人の気質や環境に依存する部分はどこなのか。

そこまで行けば、文章になります。

でも、そこを通らずに、

「言い続けたら叶いました」
「思い続けたら近づきました」
「人生が好転しました」

で終わってしまうと、私のセンサーは鳴るのです。

ピコーン。

ああ、またです。

その匂いはどこから来るのか

思えば、私がこれまで反応してきたものは、だいたいこの匂いでした。

営業論に見えて、実は「お客様に寄り添う私」が好きな文章。

映画評に見えて、実は「作品の本質を見抜いた私」が好きな文章。

書評に見えて、実は「普通の読者とは違う読みをする私」が好きな文章。

経営論に見えて、実は「人間を合理的に管理できる私たち」が好きな思想。

金融記事に見えて、実は「元金融機関職員である私」の肩書きが好きな文章。

もちろん、どれも一概には言えません。

本当に顧客のことを考えている営業論もあります。
作品への敬意から生まれた映画評もあります。
読者にとって有益な金融記事もあります。
現場の苦しさを真剣に引き受けた経営論もあります。

問題は、そうではない文章です。

表面上は、読者のため、顧客のため、部下のため、作品のため、と言っている。
けれども、文章の真ん中に座っているのは、どうもそれらではない。

真ん中に座っているのは、たいていの場合、

そう語っている自分

です。

「私はわかっている」
「私は見抜いている」
「私は経験している」
「私は普通の人より一段深く考えている」

その自己像が、文章の中心に鎮座している。

そして、それがあまりに堂々としていると、私の中の犬が吠えます。

いや、犬ではありません。
所長はそんな下品なことはしません。

吠えているのは私です。

ここで、少し冷静にならなければなりません。

なぜなら、いま私が書いているこの文章も、かなり危ないからです。

「私はそういう自己陶酔を嗅ぎ取れる」
「私は文章の奥にある匂いに敏感である」
「私は浅い自己肯定には騙されない」

そんな顔をし始めた瞬間、私自身が、まったく同じ穴に落ちます。

つまり、

“そんな私が好き”を嗅ぎ取れる私が好き。

最悪です。

病原体を研究していたつもりが、自分の白衣にべったり付着していた、というやつです。

センサーはかなり誤作動する

ここで大事なのは、私のセンサーが常に正しいとは限らない、ということです。

むしろ、かなり誤作動します。

前向きな人を見ると、まず疑う。
自己肯定の文章を見ると、まず眉間に皺を寄せる。
「自分らしく」と書かれているだけで、いったん安全装置を外す。

よくありません。

もしかすると、ただの性格の悪いおじさんです。

世の中には、素直に読めばよい文章もたくさんあります。
「この人、楽しそうに生きているな」
「自分も少しやってみようかな」
「前向きでいいな」

そう受け止めればいいだけの文章もあるはずです。

なのに私は、そこで止まれない。

「で、再現性は?」
「周囲のコストは?」
「運の要素は?」
「それ、方法論と言えるの?」

すぐに赤ペンを握ります。

たいへん面倒くさい読者です。

しかも厄介なのは、このセンサーを持っている自分に、こちらがうっかり酔いそうになることです。

「私は浅い自己肯定を見抜ける」
「私は文章の奥にある自己陶酔を嗅ぎ取れる」
「私は普通の読者とは違う」

危ない。

それこそが、まさに、

“そんな私が好き”。

ミイラ取りがミイラになるとは、このことです。

自己陶酔を批判しているうちに、自己陶酔を見抜く自分に陶酔する。

二重遭難です。

救助隊を呼ぶべきなのか、まず鏡を見るべきなのか、判断に迷うところです。

批判の刃は、すぐに戻ってくる

結局のところ、私は自己肯定が嫌いなのではないのだと思います。

自己肯定だけで終わってしまう文章が苦手なのです。

もっと言えば、自己肯定が、自己検証を経ないまま、方法論や批評や専門性の顔をして出てくる瞬間が苦手なのです。

「私はこう思いました」
そこまではいい。

「私はこうしてうまくいきました」
それもいい。

でも、

「だから、これは方法です」
「だから、これは本質です」
「だから、あなたもこうすればいい」

となった瞬間、こちらは身構えます。

そこには、もう一段必要ではないか。

何が本人の努力で、何が偶然で、何が環境で、何が周囲の寛容だったのか。
何が再現できて、何がその人だけの条件だったのか。
どこまでが経験で、どこからが気分なのか。

その検証がないまま、自分の物語を普遍的な助言として差し出す。

そのとき、文章の奥から匂ってくるのです。

“そんな私が好き”。

ただし、ここで忘れてはいけません。

それを嗅ぎ取っている私もまた、相当あやしい。

「そんな私が好き」を嗅ぎ取る私。
「私はその匂いに敏感です」と言いたくなる私。
「ほら、また見つけましたよ」と得意げになりそうな私。

危ない。
かなり危ない。

批判の刃は、外に向けているうちは気持ちがいい。
でも、少し角度を変えると、すぐ自分に刺さります。

だから、せめて病名くらいは知っておきたいのです。

“そんな私が好き”を嗅ぎ取ってしまう病。

これは、治る病気なのかどうかはわかりません。

ただ、病名を知っておけば、少なくとも発作が起きたときに少しだけ冷静になれます。

「あ、また鳴っているな」
「でも、本当に火事なのか」
「焼き魚の煙ではないのか」
「それを見抜く自分に酔っていないか」

そうやって、心の中の火災報知器を点検する。

よく鳴るセンサーが、よいセンサーとは限りません。
焼き魚で鳴り続ける火災報知器は、やがて信用を失います。

私のセンサーも同じです。

本当に危ない文章を知らせてくれることもある。
ただの前向きな文章にまで反応してしまうこともある。
そして一番危ないのは、そのセンサーの鋭さを、自分の知性だと勘違いすることです。

それをやった瞬間、私は批判していたはずのものと同じ場所に立ちます。

「そんな私が好き」を批判しながら、
「それを見抜く私が好き」になってしまう。

たいへん残念です。
病は深い。

横を見ると、所長がこちらを見ています。
何も言いません。
ただ、いつもの顔でこちらを見ています。

たぶん、こう言っています。

「また始まった」

はい。
また始まりました。

でも、せめて自分の病名くらいは知っておきたいのです。

そして、その病名をつけた自分を、うっかり好きにならないように。

だから私は、心の中の赤ペンを、少しだけ短く持つことにします。


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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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