第1回 識学はなぜ経営者に気持ちよく響くのか——正しい違和感から、危うい処方箋へ

識学という組織論があります。

ざっくり言えば、組織における役割、責任、評価、指示命令系統を明確にし、感情や曖昧な人間関係によるノイズを減らそうとする考え方です。

上司は上司の役割を果たす。
部下は部下の役割を果たす。
評価は結果で行う。
ルールを明確にする。
余計な感情を持ち込まない。

こう書くと、いかにも合理的です。

実際、組織の中にいると、こういう言葉が欲しくなる場面はあります。

誰が責任者なのか分からない。
指示が曖昧。
評価基準が上司の気分で変わる。
言った、言わないが頻発する。
やたらと仲はいいけれど、仕事は進まない。
会議は多いが、決まることは少ない。

こういう職場では、「役割と責任を明確にしましょう」という処方箋は、たしかに効くことがあります。

所長も、我が家の中で自分の役割をかなり明確に認識しています。

寝る。
見張る。
おやつを要求する。
人間が何か食べているときだけ、急に組織の中心に現れる。

非常に明快です。

ただし、所長の場合は、評価制度がありません。
常に最高評価です。
そこは、識学とは少し違います。

目次

入口の問題設定は、たしかに間違っていない

識学が刺さる理由は、そこにあります。

組織には、たしかに曖昧さがあります。

「自由な職場」と言いながら、実際には暗黙のルールだらけ。
「何でも相談して」と言いながら、相談すると嫌な顔をされる。
「自分で考えて動いて」と言いながら、後から「なぜ勝手にやった」と怒られる。

これは、働く側にとってかなりしんどい。

ルールが明確でない職場は、自由な場所ではありません。
地雷原です。

歩いてみないと、どこで爆発するか分からない。
しかも、爆発したあとで「普通は分かるよね」と言われる。

普通とは何か。
誰の普通なのか。
所長の普通では、夕食後にチーズが出ます。

その意味では、識学が言う「ルールを明確にせよ」「評価基準を曖昧にするな」「責任の所在をはっきりさせろ」という主張には、一定の合理性があります。

私もそこは否定しません。

むしろ、いい加減な組織ほど、ここがぐちゃぐちゃです。

誰が決めたのか分からない。
誰が責任を取るのか分からない。
誰が評価するのか分からない。
何を達成すればいいのか分からない。

そういう職場に、識学的な「線引き」が入ると、一時的には整理されたように見えるでしょう。

散らかった部屋に、とりあえず段ボール箱を置いて分類するようなものです。

書類。
文房具。
謎のケーブル。
いつか使うかもしれない充電器。
所長のおもちゃ。

まず分ける。
これは大事です。

ただ、問題はその先です。

正しい違和感が、危うい処方箋に変わる瞬間

識学の怖さは、全部が間違っていることではありません。

むしろ、入口には正しいことが混じっている。
だからこそ怖い。

ルールを明確にすることは大切です。
しかし、それは「現場の声を聞かなくていい」という意味ではありません。

責任の所在を明確にすることは大切です。
しかし、それは「上位者の判断を疑ってはいけない」という意味ではありません。

評価基準を明確にすることは大切です。
しかし、それは「数字に出ない仕事は価値がない」という意味ではありません。

感情で評価しないことは大切です。
しかし、それは「人間の感情を組織運営から消す」という意味ではありません。

ここを混同すると、組織はかなり危うくなります。

識学的な言葉は、使い方によっては、経営者にとって非常に気持ちのよい道具になります。

「部下が不満を言うのは、位置がズレているからだ」
「現場が疑問を出すのは、自分の役割を理解していないからだ」
「結果が出ないのは、余計な感情を持ち込んでいるからだ」
「モチベーションやエンゲージメントなど、余計なものにかまっているから生産性が下がるのだ」

こうなると、かなり便利です。

なぜなら、経営者自身の判断ミスを問わなくて済むからです。

現場がどれだけ頑張っても、そもそも利益の出にくい仕事を取り続けていなかったか。
安く受けた仕事を、社員の我慢で埋めようとしていなかったか。
人が辞めていく理由を、ちゃんと見に行ったのか。
職場の空気を壊していたのは誰だったのか。
それでもなお、「社員が仕事に集中していない」で片づけてよいのか。

そういう問いを横に置いたまま、

「社員が仕事に集中していない」
「部下が位置を理解していない」
「余計な感情が入りすぎている」

と言えてしまう。

これは、経営者にとって、かなり甘いお菓子です。

所長なら、迷わず食べます。
ただし、人間は食べてはいけません。
あとでお腹を壊します。

「部下の位置ズレ」は見える。では「経営者の現実ズレ」は誰が見るのか

ここが、私が一番引っかかるところです。

識学には「位置」という考え方があります。

組織の中で、自分がどの位置にいるのかを正しく認識する。
部下は部下としての位置を理解する。
上司は上司としての位置を理解する。

たしかに、組織には位置があります。

新人が社長のように振る舞えば、組織は混乱します。
係長が取締役会のような顔で方針を決め始めたら、それはそれで困ります。
所長が家計管理を始めたら、たぶん全部おやつ費になります。

位置の認識は大切です。

しかし、問題はそこではありません。

部下の「位置ズレ」は、誰かが指摘する。
では、経営者の「現実ズレ」は、誰が指摘するのでしょうか。

現場が見えていない。
顧客が見えていない。
社員の疲弊が見えていない。
法律上の義務が見えていない。
自分の言動が職場を壊していることが見えていない。

こういう経営者がいた場合、下の位置にいる人間は何をすればよいのでしょうか。

黙って従うのか。
結果だけを出すのか。
違和感を飲み込むのか。
それとも、組織のために、あえて言うのか。

以前、ある職場で、従業員が経営者に対して職場環境について意見を述べたところ、それが「位置が違う」という趣旨で処理された、という話を聞いたことがあります。

その従業員が正しかったのか。
経営者が正しかったのか。
そこは、ここでは問いません。

ただ、少なくとも一つ言えることがあります。

現場から上がってきた違和感を、内容ではなく「誰が言ったか」で処理し始めたとき、組織はかなり危ない。

「その意見は正しいか」ではなく、
「その位置の人間が言うべきことか」になってしまう。

これは、組織の情報処理能力を壊します。

現場に近い人ほど、現実を知っていることがあります。
顧客に近い人ほど、商品の問題に気づいていることがあります。
事務の末端にいる人ほど、ルールの矛盾に気づいていることがあります。

それを「位置ズレ」と呼んでしまえば、組織は静かになります。

ただし、静かになったからといって、問題が消えたわけではありません。

火災報知器を止めれば、音は消えます。
火は消えません。

「聞かない組織」は、きれいに壊れる

識学的な組織は、見た目にはきれいかもしれません。

組織図がある。
責任が明確。
評価は数字。
指示は上から下。
報告は下から上。
感情を入れない。
余計な会話をしない。

なるほど、美しい。

ただ、私はこういう美しさを少し疑っています。

現実の組織は、そんなにきれいではありません。

人は疲れます。
迷います。
勘違いします。
言いにくいことを抱えます。
数字に出る前に、空気が悪くなります。
退職届が出る前に、表情が変わります。
裁判になる前に、どこかで小さな警告音が鳴っています。

その警告音は、最初からきれいな「事実報告」の形では出てきません。

「最近ちょっとおかしいです」
「このやり方、現場では厳しいです」
「あの人、かなり参っているように見えます」
「みんな言いませんけど、不満はあります」
「これ、法律的に大丈夫なんでしょうか」

こういう、少し曖昧で、感情を含んだ情報として出てきます。

まともな管理者は、そこから事実を拾います。

これは単なる愚痴なのか。
構造的な問題なのか。
一人の不満なのか。
複数人に共通する兆候なのか。
ルールが悪いのか。
運用が悪いのか。
そもそも経営者が悪いのか。

ここを見に行くのが、管理の仕事です。

しかし、感情や違和感を最初から「ノイズ」として捨てる組織は、その入口を失います。

結果として、組織は静かに壊れていきます。

誰も反論しない。
誰も相談しない。
誰も異議を言わない。
誰も止めない。

そして、ある日突然、人が辞める。
また辞める。
さらに辞める。
気づけば、三年でサッカーチームが組めるくらい人がいなくなる。

もちろん、これは一般論です。
世の中にはいろいろな職場があります。
たまたま人の入れ替わりが激しいだけの職場もあるでしょう。
たまたま退職者が続いただけの職場もあるでしょう。
たまたま辞めた人に裁判を起こされる職場もあるかもしれません。

たまたまが多すぎると、それはもう、たまたまではなく構造です。

所長も、同じ場所で何度もつまずく人間を見ると、少し離れたところから眺めています。
たぶん、「そこに段差がありますよ」と思っています。
言いません。
チワワなので。

識学は、誰を救い、誰を黙らせるのか

私は、識学を全否定するつもりはありません。

ルールは必要です。
責任の所在も必要です。
評価基準の明確化も必要です。
上司が部下に気を遣いすぎて、必要な指示を出せない職場も問題です。

そこまでは分かります。

しかし、その処方箋が、現場の声を封じ、感情情報を捨て、上位者の誤りを補正できない構造を作るなら、それは合理化ではありません。

ただの沈黙の設計です。

識学は、混乱した組織に秩序を与えるかもしれません。
しかし同時に、ある種の経営者にとっては、自分を変えなくていい理由を与えてしまう。

部下が悪い。
現場が悪い。
位置がズレている。
感情を持ち込んでいる。
結果を出していない。

そう言っている間、経営者自身は問われません。

ここが、私にはかなり危うく見えます。

組織に必要なのは、ただ静かにすることではありません。
ただ従わせることでもありません。
ただ数字で測ることでもありません。

必要なのは、現実を見る力です。

現場の違和感を拾うこと。
上位者の判断ミスを補正すること。
ルールの不備を直すこと。
人が壊れる前に気づくこと。
法律や社会常識から外れたときに、誰かが止められること。

それができない組織は、どれだけルールが整っていても危ない。

所長は、ルールがなくても、人間の異変にはすぐ気づきます。
少し元気がないと、そっと近くに来ます。
おやつが欲しいだけかもしれません。

でも、来ます。

組織も本来、それくらいの感度は持っていた方がいい。

次回は、識学の中でも特に危うい言葉——「位置ズレ」について考えてみます。

意見を言っただけなのに、なぜか「位置が違う」と処理される。
その瞬間、組織では何が消えるのか。

所長は、今日も組織図の外からこちらを見ています。
おそらく、かなり高い位置から。


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この記事を書いた人

金融の現場で30年以上、貸す・回収する・法的手続を扱う側として働いてきた主任研究員。腑に落ちないことをそのままにできない性分。当研究所ではDr.ホワイト所長の監督のもと、制度・書面・権利回復に関する実務知識を発信しています。

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